Pigtail

 清末モノのドラマなどで西洋人辮髪Pigtailと称されて、開明的な知識人が異国で憤慨する…っていうのはお約束の一つになっているかと思います。なるほど、英語では辮髪のことをPigtailって言うワケね~豚のしっぽだなんて侮蔑的~等と言う文脈で語られることも多いと思います。でも本当にそうなんでしょうか?

 英単語でPigtailって普通に三つ編みお下げ髪のことを指したりするわけですよ。ポニーテールと同じ感覚です。となると…
1:辮髪のことをPigtailと称したので、辮髪に似ている三つ編みお下げ髪のことまでもPigtailと称するようになった→辮髪起源説
2:元から英語圏では三つ編みお下げ髪のことをPigtailと称していて、たまたまダイチン・グルンに到達した際に、見慣れた三つ編みお下げ髪に似ている!辮髪辮子を指してPigtailと称した。→三つ編み起源説
…と、二通りの起源が考えられますよね。と言うワケであまりにも暇だったので、暇潰しにwikiをだらだら読んでみました。

 で、wikiのPigtailの項目を見てみると…Pigtailは普通に三つ編みお下げ髪のことを指す模様です。ここの項目は辮髪の香りがいたしません…。ひとまずは、2番の三つ編み起源説を支持しても良いようです。結果早いです。
 では、英語で辮髪のことを何というのだろう…と、先のPigtailの項目を読んでみると…関連項目にQueue (hairstyle)と言う項目があります。Queue (hairstyle)を読んでみると…

The queue or cue is a hairstyle in which the hair is worn long and gathered up into a ponytail. It was worn traditionally by certain Native American groups, Indian Brahmins (see Kudumi) and the Manchu of Manchuria.

 モロ満洲族のヘアスタイルですねんって書いてますね。やはり、Pigtailと同じく、頭を剃り上げることではなくて長い髪を三つ編みにすることが重要視されるようです。それ故に、頭を剃り上げない三つ編みお下げ髪のNative AmericanのヘアスタイルもQueueと称されているようです。いずれにしろこの項目の八割方は満洲族辮髪について書かれているので、とりあえずQueueなる髪型は満洲族辮髪のことを指す…と考えても良さそうです。
 どうでも良いんですが、この項目、漢語で言うところの辮子満洲語訳まで載ってますね…。なんか…ありがとう。

 では、辮髪のことをPigtailと称すのは誤用なのか?と言うとそうでもないようです。
 ついでに見つけた記事では、1873年のサンフランシスコあたりで衛生上の問題を理由として、中国華僑辮髪を切り落とす法令が制定されて、コレをPigtail Ordinanceと称したようです。 この法令のPigtailは確実に華僑辮髪のことを指しているので、やはりPigtail辮髪のことを指す用例はあるわけです。
 で、この法令を率直に訳すと辮髪令……ですね。辮髪を切り落とせ!という法令ですから、薙髪令と真逆の法令ですが…実に興味深い。
 おそらく移民の中でも異様な髪型=辮髪を結ったまま団結を保つ華僑は、移民社会の中でも奇異な目で見られたんでしょう。彼らを周りと溶け込ませるために、強制的に断髪させたんでしょうから、意味合い的には薙髪令と同じ何じゃないか?という、このアンビバレントな感じがたまりません。

 と言うワケで、wikiによるとPigtail辮髪起因の英単語ではなく、元々は三つ編みお下げ髪を指す単語だった模様デス。なので、辮髪を指してPigtailというのは、別に侮蔑の意志を込めて称したワケではなく、単純にポニーテールと同じノリでピッグテール~って言ってみた…と、言い張ることも出来るみたいです。漢語の辮髪も英語のPigtailも髪を三つ編みにする…という意味だけで、頭を剃るというニュアンスは含まれていない…という側面も非常に興味深いです。自分は大辮髪主義者なので、北米大陸辮髪地域に組み込めるという確信を得ました。いや、良い暇潰しになりました。

 うーん…小人閑居して不善を為すを地でいってしまったような…。

NHKドラマ 蒼穹の昴 第三回 修業

 と言うワケで、『蒼穹の昴』の第三回です。……新幹線の中で小説版の文庫本を十年ぶりに読んだんですが、いや、別物ですね…。ドラマももうちょっと破天荒な梁文秀で良いと思うんですが…。なんだか春児の浄身も畢五が出て来ないから唐突な感じになっちゃったわけですねぇ…。と、一応感想をば…。

 今週では梁文秀科挙の結果状元に選ばれるわけですが…。なるほど…言われてみれば、殿試って保和殿前で行ったんですね。小説でも確かそんな表現だったと思うんですが、座卓を持ち込んで答案を書くという発想がなかったので些か驚きました。
 え~気になったのは保和殿扁額満漢合壁になってなかったことですかね。現在の北京故宮に行くと確かに保和殿始め外朝三大殿及び端門午門太和門に付随する門や建築物)は漢字のみの扁額がかかっています。

1995年06月07日宣和堂撮影

1995年06月07日宣和堂撮影

 コレは袁世凱中華民国大総統から中華帝国洪憲帝にクラスチェンジしようとして失敗した際に掛け替えたワケですから、時代考証的にはアウトです。折角横店で撮っているのに、満漢合壁扁額が作られていないのはおそらく、元ネタになるべき扁額が残っていなかったので、満洲文字がいい加減になるくらいならいっそ作るのやめちゃえ!と言うコトなんですかねぇ…。
 あと、ミセス・チャン梁文秀の淡いロマンスで、辮髪の髪結いが重要なファクターとして登場しているのはドラマオリジナルですがなかなか良いシーンでした。ただ、出来ることなら梁文秀辮子は見るからに荒れてるくらいの方が良かったと思います。ただ、この頃の満洲女性が男性の辮子を結ったか否かはちょっと自分も分からないんですけどねぇ…。
 と、ミセス・張固倫寿安公主であることが明かされ、慈嬉太后と仲良くおしゃべりするシーンがあったんですが、小説風に慈嬉太后はおきゃんな口調に訳されていないあたりにドラマとして魅力に些かの不安が…。春児に心を開いたり、李鴻章が来てもこの調子だとちょっと残念なんですが…。

《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》P.83

《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》P.83

 で、英字新聞の記事に出てきた栄禄との不倫は割に昔からよく言われたデマですね。栄禄は16歳という年少時から官界デビュー果たして、以後出世街道をひた走って国権を担う役職を累任します。彼が満洲旗人だとしても異例の出世と言えます。が、そもそも栄禄慈嬉太后の甥にして、光緒帝の従兄弟に当たる人物ですから、その縁故により出世したわけです。実にシンプル。なので不倫関係とかは流石にないと思われます。

 そうそう、予告見るに来週は珍妃乾隆帝が出演する模様です。ちょっとワクワク。

NHKドラマ 蒼穹の昴 第二回 母と子

 と言うワケで第二回です。ドラマ版では春児玲玲が孤児になってて、梁文秀の実の母に育てられたので、なんだか義兄弟になりましたという改変にポカーン。春雷にいちゃん…いないことになっちゃったよ…。

 と言うコトで今回は前回話が出た光緒帝の親政へ向けて、垂廉聴政から訓政に移る過程…ですね。
 大清…というかダイチン・グルンは早くから漢化されて、乾隆年間頃には満洲人漢人とほとんど変わらなかった!とか言われがちですが、それこそがダイチン・グルンが腐心して支配下の漢人に植え付けた”中国”イメージによるモノです。満漢合壁勅旨なども、満文漢文と同じ事が書かれているだけだ!なんて思われがちですが、最近のマンジュ語研究ではマンジュ語の文章の方がより詳細で、具体的な内容であることが分かってきているようです。このドラマが言うように、漢人を信じるな!的な事はほんとにあったみたいなんですよね。

《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》紫禁城出版 P.6

《清史図典 第十一冊 光緒 宣統朝 上》紫禁城出版 P.6

 実際、清朝は歴代、科挙制は残されて、漢人にも相当な権力があったように誤解しますが、あんまり軍事権や行政権の大権は漢人には貸与されていませんし、満洲人八旗以外の漢人と婚通することも無かったようなので、通常考えられているよりもずっと漢化していなかったりするようです(実は、新中国になってから満人…とされているのは、満洲八旗はもちろん、漢人八旗、蒙古八旗を含む旗人だったりする。旗人間では通婚が盛んで生活様式も旗人様式と言えるモノだった模様。なので、遺伝的には漢人の血は入っている)。
 本当の意味でダイチン・グルン漢化したのは実は慈嬉太后西太后)の頃だったのではないか?と個人的には思っています。慈嬉太后は治世の前期こそ、恭親王奕訢をはじめとする満洲貴族を頼ったモノの、清末の国難に対して軍事の大権を曾国藩李鴻章左宗棠などの漢人官僚に与えました。光緒帝戊戌変法の際には康有為梁啓超漢人に頼りました。劇中に出てくる栄禄満洲人ですが、やはり実力的には李鴻章らと比較すると、ちょっと見劣りするのが事実…。
 最終的には宣統帝溥儀満洲人蔑視…と言っても良いくらいの不信感に繋がっていくわけです。実は国父摂政王 醇親王載灃が組閣した、清末満洲貴族の内閣は、満洲復古の目から見れば、いつ裏切るか分からない漢人の手から、信用のおける満洲貴族に大権を戻す試みだったわけです。結局、その試み自体は辛亥革命で頓挫するわけで、時期をわきまえないお坊ちゃんの誇大妄想だの、民情を顧みない暴挙だのと後世からは言われるワケです。漢化からダイチン・グルンを復活させるため…と考えれば、非難されるべき施策ではないんですが、ちょっとやり方は拙かったんでしょうね。結局、醇親王・載灃はあんまり良いところを見せることなく、一度は追放した袁世凱に頼って、結局はダイチン・グルンを滅亡させたワケですから、よく言われることはないんですけどね…。
 ちなみにこのドラマに出てくる、光緒帝の父親である醇親王・奕譞はもちろん、宣統帝・溥儀の父親である醇親王・載灃の父親でもあります。光緒帝醇親王・載灃は兄弟ですから…。
 と、ドラマの関係ない系図漢化の話するくらいですから、あんまり大した感銘を受ける回ではなかったと言うコトです。安徳海は実在の人物ですが、慈嬉太后の不興を買って処刑されたわけではなく、同治年間慈嬉太后の助命嘆願を無視されて、官僚に処刑された太監なんですけどねぇ…。
 あ、あと珍妃は新しいモノ好きで、紫禁城に最初にカメラを持ち込んだのは珍妃だとも言われています。コスプレして光緒帝とのツーショットを宦官に撮らせたとも言われていますが、現像された写真の実物はありません。光緒帝の肖像も写真のモノは残念ながらありません。なので、もっとも有名な朝服図でも貼っておきます。

Avatar

 と言うワケで、年始一発目、元旦に話題の映画、”Avatar(邦題:アバター)”を大画面で見てきました。3Dが話題の映画なのに飛び出してこない仕様の映画館で見ちゃいました…。なんてこったい…。ネタバレしてるんで、イヤーン!筋は映画館で初めて知りたいの!と言う方は回れ右してください。

 で、Titanicを頭のてっぺんからお尻の先まで撮るために、適当なラブストーリーをでっち上げて思う存分Titanicを撮り倒して満足したら、世界中から「あのラブロマンス最高!」とか勘違いされたために心に傷を負って早十数年。ようやっとJames Cameronの新作映画ですよ?でも、全編ほとんどCGという、ちょっと下手をすると劇場にまで来てFF13やってるのと変わらないことになったらどうしようかと思ったんですが、流石は興業で全米一位になるだけの映画ですね。そこそこ面白かったです。映像的には。

あらすじ:平たく言うとSF版のDances with Wolves

……以上。
 まあ、ストーリー的には素直なモンでオーソドックスなインディアンものとかベトナムものと変わりません。下手するとFFだって似たようなモンです。白人男性異世界に入り込んで、族長の娘と惚れあう…という伝統的なプロットですね。コレで白人女性異世界族長と結ばれる話なら、プロット的に拍手喝采でしたけど、その辺あんまり奇をてらわなかったみたいです。
 それだけではアレなので、 三十後半のアニオタにわかりやすく書くとこんな感じです→

イデオンギジェが死んだ星が舞台で、エヴァみたいな手続きして攻殻みたいな義体を操作して、ターンAロランみたいな使命を帯びて異星人の社会に潜入したものの成人式してみたり。交渉決裂したら異星人の側について、ギガントを落としてガバメントタイプ流派東方でガチンコ勝負!…で結論は崖の上のポニョ

 まあ、どこかで見たようなシーンが多いんです。でも、パッチワークが巧いこと消化されてますね。流石にお金落とす映画なだけあります。感心しました。

 で、以上のことは実はどうでも良いんです。この映画、どこでも宣伝してないんですけど、異星人・Na’viの髪型が辮髪です。みんな揃って辮髪です。清々しい。しかも一人でも数パターンの編み込みが存在します。何でそんなに辮髪に愛情注いでいるのか意味が分かりませんが、見てる自分は楽しかったです。
 しかも、辮髪の先から触手が出ます。新ジャンル:辮髪触手の誕生です。皆さん信じないでしょうけど、この辮髪触手が物語り上キーになっていて、何度も何度も辮髪触手が出てきます。ラブシーンでも辮髪触手がキーです。むしろ、辮髪Na’viがついてきてると言っても良いくらい。辮髪平和というかです。人類愛の象徴です。
 ……と言うコトで、結論としてこの映画は大辮髪SF映画です。いや、嘘じゃないよ。半分くらいは!あと、自分的ヒロインはパイロットのTrudyです。

宴会記事

 本屋を歩いていたところ、見慣れた唐人〈唐人宮楽図〉1を表紙にした絵があったので手に取ってみたところ、南條竹則『飽食終日宴会奇譚』日本経済新聞出版社 だった模様。早速購入。またぞろ中華の宴会料理を飽食するという内容。しかも、一章一宴会らしく、旨そうな料理が目白押しです。すさまじく手間をかける中華料理の中でも宴会料理がメインなので、レシピ的な読み方は期待できませんが、とにかく出てくる料理が全部旨そうで頭がくらくらします。お腹すいたときは読まない方が無難です。

 で、美味しそうな料理の合間に乾隆帝の記事も何個かあったのでとりあえずメモ。

 孔府のもやし料理は有名で、中には「醸豆莛」という、もやしの中に餡を詰める、恐ろしく手間のかかるものもあるそうだ。しかし、一番よく知られている「油潑豆莛」は、単なるもやし炒めである。
 『中国名菜精萃』によると、ある時、乾隆帝が孔府へ来て食事をしたが、どうも食がすすまない。それで、おそばに控えていた衍聖公が料理人を呼び、食欲が出てお腹にももたれない料理を何かこしらえるように命じた。
 料理人は緑豆もやしに花椒を少し加え、油で炒めて出したところ、皇帝はお気に召して、「悪くない。こんな料理は初めて食べる!」といった。以来、これは孔府の名菜となったのだそうな。
 続いて来た「金香白玉板」は、軽く揚げた豆腐を白玉に見立てている。ふつうは「金鑲白玉板」とかく場合が多い。
 これも乾隆帝ゆかりの料理だ。
 ある時、乾隆帝がお忍びで田舎を歩いているうちに、お腹がペコペコになり、農家で夕飯を食べさせてもらった。家の人はこの素朴な豆腐料理を出したが、空きっ腹にまずいものなしで、皇帝はたいそう喜び、「この料理は何という名前か」ときいた。
 家の人はただの豆腐というのが恥ずかしいので、「金鑲白玉板(金を嵌めた白玉の板)でございます」とこたえたというのだ。
 乾隆帝は幾度も北京の都から江南へ行幸したが、小説や言い伝えの世界では、水戸黄門のように各地をお忍びでめぐり歩いたことになっている。そうしてあちらこちらに、この皇帝と食べ物にまつわる話がある。豆腐ももやしも、乾隆帝の膳にのぼれば名菜になってしまうのだから、大したものだ。2

 何というか、いかにも乾隆帝っぽい話。そこら中に目黒のサンマがうようよしているわけです。

 最近作では割に迷走しているイメージがあったのですが、またでふ先生の美味しそうな記事に巡りあえて幸せです。とりあえず、美味しい宴会料理を食べるように味わって読みます♪また渋谷中華料理屋に行きたくなりましたよ。

  1. 國立故宮博物院 National Palace Museum
  2. 南條竹則『飽食終日宴会奇譚』日本経済新聞出版社 P.29~31
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