吾妻鏡の謎
と言うワケで奥富敬之『吾妻鏡の謎』吉川弘文館 を読了。うーん…スンナリ読めてしまった…。この本では鎌倉時代の基本資料である『吾妻鏡』が北条得宗家を賛美する目的で、おそらくは金沢流北条家が中心となって得宗被官などと共に編纂された…としてますね。確かに金沢流ならあり得ますが何でも金沢流にしてしまうのもどうかと…。
で、北条得宗家を称揚するあまり、歴代将軍はネガティブなイメージで描かれているわけですね。権力委譲もやむなかったという立場からでしょうけど。最近は、二代将軍・頼家や三代将軍・実朝の再評価もされていますから尚のこと『吾妻鏡』でのヘタレッぷりは事実を歪曲したモノではなかったのか?と言うコトになります。『吾妻鏡』では流石に、創業者である頼朝には遠慮しているものの、やはり殊更ネガティブなエピソードを記載しているようです。
また、源実朝が暗殺される直前に、御剣役として近侍していた北条義時が夢で見た戌神の幻覚を見て急に体調を崩したため難を逃れた…とする個所を、当時の日記を駆使して、実は義時は雪の中で実朝に中門で待つように命じられたために難を逃れたモノの、あんまりにもかっこ悪いので神霊話をくっつけて退居したことにしたら却って後世から、実朝暗殺の黒幕に仕立てられちゃったとか何とか…。
下は十二神将の戌神のお陰で難を逃れた義時が、戌神を祀るために作った大倉薬師堂…を元に、貞時の時に蒙古襲来の調伏を目的に建てられた覚園寺。江戸時代や明治以降の再建が多い鎌倉の神社仏閣の中では珍しく薬師堂は室町創建。ただ、江戸時代に改築に近い大修理を受けているため、そのまま室町時代のモノかというとそうでもないらしい。境内撮影禁止がちょっと残念。
後、御家人は当時、団結する、結束するという意味で一揆と言う言葉を使い、逆にその団結から外れようとする行為を独歩と称したみたいですね。で、独歩とみなされた場合は族滅もやむなしというぐらい、苛烈な弾圧を受けたみたいです。ヤクザか忍者の足抜けみたいなイメージでしょうか?
と言うワケで、自分は北条家のエピソードに期待して購入したんですが、どちらかというと頼朝の親族、兄弟や御落胤、御門葉といったことに紙数が割かれていて、ちょっと肩すかしを食らった気分になりました。ムムー残念です。まあ、頼朝をねらった刺客…という段は、頼朝が鬼平みたいな理屈で刺客を検挙したというエピソードが紹介されていて面白かったです。