黄馬掛その2
先日、珍しく過去に書いた記事黄馬掛にコメントをいただきました。
馬掛けの下の着ている裾の長い衣服は片方に継ぎ目がある使用なのでしょうか??
うん?継ぎ目?なんだろそれ…とコメントだけ読んでも全く理解出来ませんで、とりあえず当該記事の当該画像を確認して見ました。
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宣和堂の節操のない日記
先日、珍しく過去に書いた記事黄馬掛にコメントをいただきました。
馬掛けの下の着ている裾の長い衣服は片方に継ぎ目がある使用なのでしょうか??
うん?継ぎ目?なんだろそれ…とコメントだけ読んでも全く理解出来ませんで、とりあえず当該記事の当該画像を確認して見ました。
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と言うわけで《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を相変わらずツラツラと見ています。今回は23集に出てきた乾隆年間の皇族を纏めておこうかと。
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と言うわけで、またツラツラと《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を見ています。11集~12集あたりでは献上品の茘枝が出てきたんでちょっと調べてみました。 Read more
今回は前回の補足です。実録パラパラめくって調べたら結構抜けていたので。 Read more
と言うわけで、《清实录研究》に実録の編纂場所……つまり、実録館の位置が載っていたので比定してみました。位置については……正直自信有りません…。と言うのも、実録館は常設の役所ではなく、皇帝代替わりの実録編纂時期にのみ官員が任命される性質の役所なので位置がころころ変わるんですね…。雍正~乾隆にかけての実録館は実録の告成後しばらく放置されたようですが、乾隆30年頃に国史館(《清史列傳》などを編纂した)に転用されたように、その時々の空いている場所を転々としたようです。
しかし、実録の簡易版を《東華録》と称したように、概ね東華門近くに設置されたようです。まぁ咸豐年間以降はほぼ場所は固定されたようですが…。この辺、紫禁城に関する本を見ても今ひとつ詳しく載ってないんですよね…。ただ、Wikipediaの日本語版紫禁城の項には実録館の満文=yargiyan kooli bithei kurenも載っているので何かしら詳しい本があるんでしょうけど…って、これ咸安宮に付随する形で載ってますから、嘉慶年間の実録館ですかね。