顔氏家訓って面白い
と言うワケで、ノタクタ休日消化してる宣和堂です。
ノタクタしながら、この間やられた感の強さを感じつつ、顏之推/宇都宮清吉訳註『顔氏家訓 2』東洋文庫 を購入しました。何で二巻だけかというと、絶版状態らしく、一巻が手に入らなかったんですね。
前から興味はあったモノの、読んだこと無かったのでパラパラ読んでみました…。うーん…人生訓というか堅苦しい家訓をイメージしていたんですが違うみたいですねぇ…。今回確認したかったのは、前に記事にした文春のインタビューで田中芳樹が…
中国料理史に関する資料もありますが、こういったことでは民間の小説や随筆のなかの記述が重要です。「今日○○を食べた」なんて書いてあると、ああなるほどと思うわけです。今回の執筆では『顔氏家訓』という随筆がおおいに役に立ちました。1
とか言ってるのが気になったからですね。え~と、関係ないですけど、田中芳樹の小説に出て来るご飯で美味しそうだったのは、個人的にはアンネローゼが作るフリカッセだけでしたね。それはともかく、え…《顔氏家訓》って随筆だったっけ…。気になったわけです。で、寒泉で検索したら、《顔子家訓》は《四庫提要》では巻一百一七 子部二七 雜家類一(雜学)になってます。雑学て…確かに現代的な用語で見ても意外に的を射てる気もしますが。
なんで、厳密には随筆とは違うんじゃないかなぁ…と思ったんですが、自分の本棚見たら『顔氏家訓』は中国古典文学全集では『歴代随筆2』の巻に入ってるみたいなので、田中芳樹ばかりを責められませんね…。
で、肝心な内容ですが、パラパラ読んだ限りでは、『ある人にこういう質問を受けたんだ…そこでオイラはこういってやったね』と言う感じのQ&Aや(人生相談ではなくて、学術的な質疑応答みたいなモンですが)、処世術を語るようなスタンスで実は単なるゴシップだったりする記事も結構チラホラ…。ムム…思ってたよりも面白そうな本ですね。こんな事言っては何ですが、ワンセンテンス、ワンセンテンスが短くてテンポがよく、Blogみたいな記事が多い気がします。
で、著者の顏之推の経歴というと…。若い頃はやんちゃだったとはいえソコソコの貴族の出身です。学識があったので南朝梁の湘東王こと元帝に使えたものの、侯景の乱で侯景方に攻められて捕虜にされたり、梁皇室の兄弟喧嘩に端を発する西魏の侵攻され、顔之推自身も西魏に徒歩で連行されて半死半生の目にあったりしてます。で、黄河が氾濫したドサクサに紛れて北齊に逃げて、どうにか北齊朝廷に仕えたのに亡国の憂き目に合い、西魏の後継国家・北周にまた仕えることになったとおもったら、すぐに周隋革命が起こり、隋に鞍替えしています。多くの朝廷に仕えた文官という点では馮道と同じですが、より起伏に富んだ人生を送ってますね。
経歴だけでも面白いワケですが、《顔氏家訓》の中身も、思ったほど人生訓みたいな説教臭い話は少ないので、ナカナカ面白い読み物になってると思います。もうちょっとパラパラ読んでみますね。
- 本の話 < 著者インタビュー >知られざる英雄の生涯 ↩
- 松枝茂夫・今村与志雄『中国古典文学全集 32 歴代随筆』平凡社 ↩
一応「随筆」の語は手元にある辞書で確認したところ、「自分の見聞・体験・感想などを、筆に任せて自由な形式で書いた文章」とあり、その意味では『顔氏家訓』も十分随筆の範疇にはいると思います。むしろ「随筆でない」と言われる方が、違和感がある気がするのですが。なお『顔氏家訓』は、『提要』では雑家(ちなみに『四庫全書』の分類における「雑学」とは、雑家の内で立説するものをいい、いわゆる雑学とは意味が違います)ですが、『新唐書』『宋史』芸文志では儒家に分類されています。
宇都宮氏の訳については、学生時代に教授から「宇都宮さんの訳はアバウトすぎるから、そのまま使用するのはダメ」と言われたことがあります。
◇殷景仁様
古い記事でスンマセン。コレ書いた時は何となく家訓と言うからには訓諭とか、日本の中世貴族の日記みたいなモンかな?と思ってたんですね。まあ、この記事自体が何にも考えずに書いた記事ですね。浅学披露したようなモンで恥ずかしいデス。