草原の王朝 契丹─美しき3人のプリンセス─
と言うワケで、珍しく静岡にも展示が来るというので、草原の王朝 契丹─美しき3人のプリンセス─を見に行ってきました。陳国公主墓の出土品は以前、今は無きエキスポランドの催し物会場に来た時に見に行ったりしましたが、今度は新発掘のトルキ山古墓と慶州の白塔(慶陵を鎮守する目的で建造された模様)を修築した際に中から見つかった文物が来てましたね。この三カ所の出土文物が中核を締める展示なので、美しき3人のプリンセスという副題がついてるみたいです。何のかんの耶律羽之墓から出土した文物もそこそこ多かったように感じたんですが、その辺は積極的にスルーしたみたいですね。
と言うワケで、展示の雑感です。
まず目を見張ったのが、やはり金銀器ですね。一般的に遊牧民族は金を好み、彫金に秀でていると言われるワケですが、間近に見ると流石に圧巻です。装身具よりも食器の方が多かったのですが、やはり装身具の方が迫力ありましたね。
個人的に惹かれたのは№32マカラ型耳飾りですね。トルキ山古墓からの出土と言うコトですが、墓主はよく分からないものの耶律阿保機の親族の女性(兄弟?)が墓主ではないかと言われているようですね。ここの古墓の出土品がちょっと首傾げるほど出来が良いんですよね。あくまで陳国公主墓と比べてですが、個人的にはトルキ山古墓からの出土品の方が洗練されてるように思えるんですよねぇ…。ただ、時代的に近い耶律羽之墓の出土品はトルキ山古墓と似たような水準の出土品があるかと思えば、陳国公主墓よりも素朴な出土品も出てきてるんですよね。このあたりは個人のセンスとか財力の問題なんですかねぇ…。まぁ、陳国公主は享年18歳、トルキ山古墓の墓主は30代と言うコトですから、その辺の趣味の差なのかも知れませんが。
陳国公主墓出土の№15琥珀握、№16琥珀髪飾り、№17琥珀首飾り、№18琥珀首飾りあたりは、琥珀の大きさはかなり粒揃いで見事な彫刻もされているわけですが、基本的に大味で形もお世辞にも揃っているとは言い難い上に、研磨もぞんざいで川から拾ってきた石をつなぎ合わせたんじゃないかと思うほど大雑把です。この辺は№19水晶首飾りも一緒ですね。もっとも、№17琥珀首飾りはむしろ腕輪なんじゃないだろうかというほど小さいですし、№18琥珀首飾りは本当は馬具なんじゃないだろうかと疑うほど大きかったりで、考証自体的確なモノか悩ましいですね…。まあ、出土場所によって首飾りという考証がなされたんでしょうけど、キャプションに書いておいてくれると非常にありがたいです。ただ、耶律羽之墓出土の№57琥珀首飾りも琥珀の原石とカットした水晶と金細工を繋いだモノなので、もしかすると呪術的側面もあるのかなぁ…などとも考えましたがよく分かりません。金細工に関しては№20龍文帯金具はすこぶる見事な彫金なので、首飾りについてはこの時代は大味な装身具がもてはやされたのか、事情があって大味にならざるを得なかったのか、何とも言えませんね。
一方、トルキ山古墓の出土品は先に挙げた№32マカラ型耳飾りもそうですが、№33首飾り、№34指輪も洗練された見事な出来です。特に№34指輪は黄金とトルコ石でヒキガエルを模した上に下に水晶を填め込み水面を表現したものと、金で波、トルコ石で貝を表現したなかなかユニークな意匠で他に類を見ない面白い指輪です。№33首飾りは赤瑪瑙と黒水晶、金の首飾りですが、大きな瑪瑙はありませんが一つ一つの珠の形状も揃っていて非常に洗練された印象を持ちました。
また、銀器も素晴らしいですね。№39マカラ文盤はモチーフもさることながら、細工の見事さに目を奪われました。また、№40双魚文碗は蓋に蓮の葉の上に二匹の魚が描かれています。個人的に磁器を大型化して動物モチーフを持ち込んだのは遊牧民では?という自説を持っていたのですが、よくよく考えると金銀器には動物モチーフも魚モチーフもふんだんにあります。唐代からこの手の金銀器はソグド経由で大陸に伝播されたと見られるわけですが、金銀器のモチーフを磁器に持ってきた…と考えた方が自然な気がしました。同じく、磁器に人物故事を描くのは元代からなのかなぁ…と漠然と思っていたのですが、№41人物故事図壺、№36鏡箱・鸚鵡牡丹鏡(鏡箱蓋裏)、耶律羽之墓出土の№55孝子図壺、№56七角杯などを見ると、これも金銀器の意匠で磁器を作ったと考えた方が自然でしょうねぇ…。
あと、意匠全般で気になったのですが、モチーフに龍が用いられる金銀器がかなりの点数あったのですが、基本的に三爪の龍ばかりでした。王族とか皇族と書かれていても、実はそんなに身分高くなかったんかな?と思って、Wikipediaを検索してみると、五爪の龍が皇帝の象徴として一般の使用が禁じられたのは大元ウルスの頃からと言うので、この頃はそんな決まり事がなかった時期なんですね…。なかなか一通りに行きませんねw
あと、№36鏡箱・鸚鵡牡丹鏡(鏡箱蓋裏)や№61板絵花鳥牧牛図を見ると、庭園に太湖石が飾られている様が描かれています。北宋・徽宗が開封に昆岳築いた時に大量の太湖石が集められた…というエピソード(所謂花石綱)が自分の中の太湖石に関する最古のエピソードだったので、契丹でも太湖石が庭園を現す意匠として使用されていることに驚きました。今日北京や蘇州で見るような大きな太湖石ではないですが、確かに太湖石です。
あと、磁器にも良いものがありましたね。陵墓の出土品メインなのでてっきり遼三彩ばかりなのかな?と思っていたのですが、邢窯や定窯風の白磁が出土してるんですね。キャプションでは何を根拠にしたモノか邢窯か定窯の磁器!として断定してますが、どうなんでしょうねぇ…。土見ればある程度の産地は分かるんでしょうけど、同じ耶律羽之墓からの出土品で底部に釉薬が掛かってるかどうかで、№70白磁穿帯瓶、№74白磁鉢、№76白磁罐が邢窯・定窯で、№75白磁輪花碗が契丹領内で作成された磁器と分けてしまって良いものか疑問です。そもそも、契丹の国初に河北あたりの窯と契丹との間に交易が成立したモノか?晋→後唐のあたりは後梁と対抗する意味でも友好関係にはあったんでしょうけど、交易出来るほどの交流関係があったのか?自分には疑問が残るんですけどねぇ…。土が一緒なら、邢窯・定窯をお手本にした契丹窯で作成された磁器で良いんじゃないかと個人的には思うんですが、どうなんですかねぇ…。
また、№92白磁瓜型水注、№93褐釉牡丹文碗などはかなり造形として、高度に洗練している文物もありました。№92白磁瓜型水注あたりは瓜型の水差しなのですが、形だけ見れば清官窯のモノと言われてもうっかり信じてしまいそうです。キャプションに拠ると№93褐釉牡丹文碗は定窯で焼かれた紫定ではないかと言うコトですが、いずれにしろ珍しいモノみたいですね。あと、№99白釉綠彩花文盤は白釉の大皿に綠釉でぞんざいな牡丹と蓮?が描かれてます。オリーブ色のぞんざいな絵が描かれているあたり、ちょっと織部焼きっぽいですね。むにゃっとした趣のある乙な器かも知れませんw
あと、陳国公主墓の出土品の中でも今回初めて見たモノで面白いモノが何点かあったのも印象的でした。№80ガラス長頸瓶、№81ガラス幾何学紋瓶は正にシルクロードを感じさせるガラス瓶です。陳国公主墓出土ではないようですが、№82ガラス水注は化学変化で複雑な色合いに変色していて大変珍しい文物です。キャプションにはシリンゴル盟正藍旗サンビーンダライ収集とあるので、盗掘品を買ったと言うことですかねぇ…。
あと、陳国公主墓出土のモノの中でも目を見張ったのが、№83銅広口盆ですね。一見何の変哲もない銅のタライなんですが、よくよく見ると底部には六芒星が描かれており、縁にはアラビア文字の装飾がなされています。先ほどのガラス器と言いアラブ世界から伝来した文物と見ていいでしょう。実際に何に使われたのかは分かりませんが、貴重なモノには代わりはないでしょう。
最後に№123菩薩頭部はフフホト市東郊の契丹仏塔の遺構みたいですね。修復時に基礎部から見つかったみたいです。金代に重修している記録があるみたいなのでその折に取り外されたのだろうと。それにしても、優しい顔をした綺麗な仏像です。唐風の仏像と言うコトですが、小鼻が綺麗でふっくらした美人さんですね。やっぱり契丹仏は自分の好みの顔してます。
と言うコトで、この辺で。この展示自体は今年の夏場に東京でも展示されるみたいですね。興味のある方はチェックしてみては如何でしょうか。
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