南都をフラフラ歩いてみた
と言うコトで、帰省がてら奈良に行ってきました。奈良国立博物館で展示されていた神護寺蔵 伝・源頼朝像目当てです。お盆期間中ですし、展示終了時期も迫っていたので大層混んでいるだろうと身構えていったのですが…てんで人が居ませんでしたね。それはもうビックリするくらいwかなりの時間を独り占めで伝・源頼朝像を見ることに充てることが出来ました。
最近は神護寺三像は従来言われていた、源頼朝、平重盛、藤原光能というモデルに異論が立てられ、それぞれ、足利直義、足利尊氏、足利義詮ではないか?という説が立てられて、それなりに支持を集めてたりしますが、今回の展示はその辺は大いにスルーして源頼朝像として展示してましたwキャプションでも別人説のことは書かないくらいの堂々とした展示でした。
その割には、現在では最も源頼朝の実像に近いと言われる、甲斐善光寺蔵 木造源頼朝坐像や、建長寺蔵 北条時頼座像と酷似していることから、これは違うでしょ?と言われている東京国立博物館蔵 伝・源頼朝座像も展示していました。
東京国立博物館蔵 伝・源頼朝座像については、建長寺蔵 北条時頼座像と同じようなサイズだったので、これは予想通りだったのですが、甲斐善光寺蔵 木造源頼朝坐像は、予想よりもかなり大きくて驚きました。胴体から下は様式化が甚だしいのでこれは論外なんでしょうけど、少なくとも、頭部は実物大でしょうね。神護寺三像よりはイケメン度は落ちるますが、苦渋の浮かんだ顔は成るほど鎌倉殿の面影が感じさせられます。
中世に於いては、比叡山と並び南都北嶺と称されたワケで、ああ、比叡山と比較すべきなのは高野山じゃなくて、興福寺なんだなぁ~と、しみじみ感じ入った次第。そのことに気がついてから、見に行きたかったんですが、今までなかなか機会もなくこの日まで経ってしまいましたね…。
藤原氏の氏寺・興福寺と、藤原氏の氏神を祀った春日大社は、平安から鎌倉にかけてはかなり力を有しており、比叡山と列んで強訴を度々起こして朝廷と対峙したわけです。
思えば、国宝級の仏像が興福寺に集まっているのも、それだけ富が集積されたって事でしょうし、鎌倉仏師として有名な運慶、快慶等の慶派も興福寺所属のテクノクラートの代表格なワケで、成るほど興福寺は繁栄していたようです。
疲れましたが、実に楽しかったです。
ををっ!おいでませ、南都へ!
神護寺のは昔に見たんですが、もう一度見たかったなぁ‥‥。
教科書ではなかなか見えない束帯の有職文様がいいですね。
行きました。神護寺のは穴の空くほど見られて眼福でした。東博の伝頼朝座像も在りましたねw
こんにちは!!私も見に行きましたよ!!実朝ファンなんですが、関西と源家の関わりを知ることができて貴重な内容でした。この時代はあまり知る機会が無かったのですが、次の今の社会の成り立ちを知る上で貴重だと思います。どんどん知りたいものです!!
伝・頼朝像と頼朝座像が一堂に会する!と言う展示の割に実に閑散としていましたけど、素敵な展示でしたね。