ダヤン・ハーンのモンゴル
と言うわけで、岡田英弘『チンギス・ハーンとその子孫 ─もうひとつのモンゴル通史─』ビジネス社 を読んだので、その中でモンゴル関係のマンジュに絡みのあるところをメモ。固有名称は一部自分のなじみのある単語に変換してます。
●1388年にアリク・ブカ家のイェスデルがフビライ家のトクズ・テムル・カァンを殺害して北元ハーン位を奪う。以後、モンゴルはモンゴルとオイラトに二分される。
モンゴル⇒クビライ家支持=四十(ドチン)モンゴル
⇒アリク・ブカ家支持=四(ドルベン)オイラト(オイラト部族、ケレイト部族、ナイマン部族、バルグト部族)
●1487年にダヤン・ハーン(=大元大ハーン)が即位、以後モンゴルはダヤン・ハーンの再編した秩序を継承。
ダヤン・ハーン(六部隊)⇒左翼(ゴビ砂漠東北:チャハル、ハルハ、ウリャンハン)
⇒右翼(ゴビ砂漠西南:オルドス、トゥメト、ヨンシエブ)
(三 衛)⇒(オンニュート、アスト、ハラチン)
チャハル(クビライが兄モンケ・ハーンから授けられた陝西省の所領の後身、ソルカクタニ・ベキの祭祀を司るダヤン・ハーン直轄領)
ハルハ(ハルハ河が名前の由来、ダヤン・ハーンの末子・ゲレセンジェが婿入り、後に右翼のジャサクト・ハーン家と左翼のトゥシェート・ハーン家、セチェン・ハーン家に分かれる、後に左右翼間に紛争が発生し、その過程でオイラトのジューンガル部族のガルダンが頭角を現す)
ウリャンハン(チンギス・カンとその子孫の陵墓を護衛したウリャンハン千人隊の後身、黄髪碧眼の人々、ダヤン・ハーンの母方部族だがダヤン・ハーン死後解体される)
オルドス(チンギス・カンの四大オルドの後身、領主は晋王(ジノン)と称し、チンギス・カンの祭祀を司る、オルドス地方の由来、ダヤン・ハーン次男のウルス・ボラトが婿入り、その後バラス・ボラトの長男グン・ビリクが婿入り)
トゥメト(キリスト教徒のオングト部族の後身、ダヤン・ハーン三男のバラス・ボラトが婿入り)
ヨンシエブ(オゴデイ・カァンの息子コデンの所領のタングート(西夏)の後身、拠点である永昌府が名前の由来)
オンニュート(チンギス・カンの弟、ジョチ・カサル、カチウン、ベルグテイの所領の後身)
アスト(クビライ家の親衛隊・アスト(オセト)人軍団の後身)
ハラチン(クビライ家の親衛隊・キプチャク人軍団の後身)
ホルチン(チンギス・カンの弟・ジョチ・カサルの子孫)
他にも重要な部族は関係してくるのですが、知りたいことはなんだか分かったような…。