キタイ皇帝の尊号メモ
と言うわけで、個人的にキタイの歴代皇帝の尊号を纏めておきます。 Read more
宣和堂の節操のない日記
と言うわけで、個人的にキタイの歴代皇帝の尊号を纏めておきます。 Read more
宣和堂は以前、どこかで「アッバース革命と安史の乱は両方ともソグドの陰謀」みたいな説を何かの概説書で読んだ記憶があったモノの、どの本に書かれていたのかをど忘れしてしまい、悶々とした日々を過ごしてました。流石にこんな突飛な説を、自分で思いつくわけもないし、どこに書いてあったのか……本棚に立って本を捲ってはこれも違うアレも違うと、捜索する度に発見に到らずなんだっけどこだっけとウンウン唸っていたわけです。ソグドと言えば、森安孝夫センセの『シルクロードと唐帝国i』だっただろうか?それとも、森部豊センセの『安禄山ii』だったか…。でも、この二冊を手に持って何度頁を捲ってもソグド陰謀論は出てきませんでした。
うむー…どこで読んだんだろう…考えても思い出せないので暫く放っておくことにしました。と、暫く立ってからやんごとなき事情で本棚を整理しているときに、ふと、久しぶりに我等が杉山正明先生の『疾駆する草原の征服者iii』を手にとってパラパラ見たところ、あれ?これじゃん?と思う間もなく、ビックリする程ボロンと出てきました…ソグド陰謀論。手に取ったときに何となくあれ?と言う予感があったんですが、やっぱり、このセンセが仰ってたんですね…!ww
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と言うワケで、色々問題があったモノの、6/24から開催されている特別展「台北 國立故宮博物院-神品至宝-」を見に行ってきました。
JR上野駅で買った当日券はチケットぴあで発券したようなチケットで、絵がないですが良いですか?と念を押されたんですが、平成館の会場入り口でもぎられるときに、台北 “國立”故宮博物院展のチケットに交換されちゃいました。まぁ、チケットぴあみたいなチケットにもちゃんと“國立”ってクレジットも入ってましたが、一律に交換することにしたみたいです。こんなの初めてなので驚きました。やっぱり騒動の後ですね…。実際、同行者の中には國立が入ってないチケットを持っている方もおられましたから、そういう配慮からなんでしょうが、無駄にお金かかってる印象です。
さて、東博敷地内に入るとまずは行列です。今回唯一の目玉と言って良いNo.229 翠玉白菜の列ですね…凄く列んでましたね。正直、北京故宮博物院200選の時の清明上河図巻ほど、何時間列んでも見たい!というモチベーションが持てなかったので、自分は行列を横目に見て、待ち時間180分というのを冷やかすくらいでした。確かに、翡翠白菜は台北故宮を代表する文物であることは間違いないのですが、台北故宮を何度か見ている人間からすると、正直物足りなさは否めないのですが、それはまた置いておきましょう。
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と言うワケで、『アジア遊学 契丹[遼]と10~12世紀の東部ユーラシア』勉誠社 をツラツラ読んでました。
実に興味深い内容でしたね。ただ、キタイそのものの歴史ではなくその周辺の歴史…という感じに終始していたのは痛し痒しという感じでしたが。ただ、キタイの国際関係というのはなかなか面白かったデスねi。崩壊したウイグルの一部がキタイに吸収されたと言う指摘は面白かったデスね。
太祖淳欽皇后述律氏,諱平,小字月理朶。其先回鶻人糯思,生魏寧舍利,魏寧生慎思 梅里,慎思生婆姑梅里,婆姑娶勻德恝王女,生后于契丹右大部。ii
《遼史》の述律皇后の冒頭にもこう書かれているとおり、ウイグルの子孫だったと言われているわけでさもありなんですが、そう言われてみれば…という感じですね。キタイの役職にはウイグル語…と言うか古トルコ語起源のモノも多いと言う指摘iiiも面白いですね。政治的にはウイグルの影響が強かったんでしょう。他にも五代十国各王朝との外交関係やiv、澶淵の盟を中心とした対宋関係v、勃海との関係vi。直接交渉はなかったものの日本との関係を仏教を通じてみるというのは面白い視点viiでしたね。
北面官、南面官の語彙がキタイでは皇帝が西に座り東面し、それを挟んで左右に臣下が列んだのが語源とかちゃんと資料読めば分かる指摘viiiもちゃんとしててなかなかありがたかったです
遺跡の発掘や契丹文字の解読状況なども興味深かったのですが、やはり散文的でイメージ湧かないですねぇix。
あと、歴代帝王廟の所でも触れましたが、清代の皇帝によるキタイの評価xと楊家将ネタxiは面白かったデス。特に、エセン・ハンと対峙した楊洪という宣府に鎮した武将が、やはり一族で武名を上げて当時楊家将と称されたと言うのはしらんかったです。《于少保萃忠全伝》にも明の楊家将として出て来るみたいです。
ニマニマしながらまたツラツラ読んでみます。
と言うワケでどうも。長らく更新サボってました。何というコトは無く、ただTwitterで事足りてたので更新が滞っていただけなんですが…。
ここのところ、ツラツラ『アジア遊学 契丹[遼]と10~12世紀の東部ユーラシア』勉誠社を読んでました。何せ島田正郎『契丹国―遊牧の民キタイの王朝』東方選書以来の纏まった一般流通する本なので。で、その中で「清人の見た契丹」と言う章で歴代帝王廟について触れているのに興味が引かれたので、今日はこのネタを書いてみようかと。気にはなってるモノの未だに行ったことが無い北京の観光スポットなんですよねぇ。