地上の天宮 北京故宮博物院展
と言うワケで行ってから一月も経ってしまった上に、もう終わった展示の記事を今頃書いてみたりするのです。
今回は4月の下旬に東京富士美術館で行われていた地上の天宮 北京故宮博物院展です。正直なところ、東博での特別展 北京故宮博物院200選→記事1、2と比べるとどうしても見劣りするわけですが、まぁ、アレも政治的な何かでしょうから、こちらも思ったよりは面白い文物は来てたんですよ?と言うコトで、チョコチョコ見ていきましょう。
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宣和堂の節操のない日記
と言うワケで行ってから一月も経ってしまった上に、もう終わった展示の記事を今頃書いてみたりするのです。
今回は4月の下旬に東京富士美術館で行われていた地上の天宮 北京故宮博物院展です。正直なところ、東博での特別展 北京故宮博物院200選→記事1、2と比べるとどうしても見劣りするわけですが、まぁ、アレも政治的な何かでしょうから、こちらも思ったよりは面白い文物は来てたんですよ?と言うコトで、チョコチョコ見ていきましょう。
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と言うワケで、菊池章太『義和団事件風雲録 -ペリオの見た北京』あじあブックス を読了。義和団事件と言うよりは、ペリオの日誌の北京部分にフォーカスを当てた本ですね。ペリオは言わずもがな、敦煌文書で有名なフランスの東洋学者ですね。
と言うワケで今回は前回に引き続き珍妃のお仕置きの回ですね。写真のことで皇后にいびられた珍妃は、李蓮英の売官のことをそれとなーく光緒帝に告げ口して、却って分を超えて政治に口出ししたことを慈嬉太后に責められて罰を受けます…。
と言うコトになっていますが、史実に残る事件は真逆ですね…。ちょっと長くなりますが引用します。
(前略)長春宮の回廊を飾る『紅楼夢』に壁画である。
透視図による斬新な構図と巧妙な遠近法、一草一葉にいたる細密絵画の手法は、あたかも長春宮が『紅楼夢』の世界の中に存在しているかのような錯覚をもたらす。
中国の『源氏物語』ともいわれる曹雪芹の長編小説『紅楼夢』は、帝王の封建制を批判したという理由で乾隆が「禁書」としたが、晩清にいたって西太后の愛読書となり、爆発的な流行をみた。西太后の熱中ぶりを知る瑾妃と珍妃の姉妹が、西太后六十歳の賀の贈物として、太后の居宮を飾るべく趣向を凝らしたのであろう。清末の進士で宮廷事情に通じた九鐘主人こと呉士鍳の著『清宮詞』の珍妃を詠った部分の注として「珍、瑾二妃は畫苑をして紅楼夢大観園を畫かしめ、内廷臣に詩を題せしむ」の添書がある。姉妹が発案して大観園の絵画を描かせただけでなく、さらに内定の官人に詩文を求めていたことが知られる。(中略)
まさに才気煥発を謳われた珍妃姉妹が西太后への恭順を示す「気のきいた贈物」であった。しかしこの抜群のアイディアが王臣達の疑念を招く結果になる。これだけの作品に要した金銭的負担───いかに皇帝の寵愛をうけているとはいえ、この正月、妃に昇格したばかりの姉妹ではないか。その封銀でとうてい賄えるはずもないこの制作費は、いったいどこから出たのだろうか、と。1
(前略)西太后六十歳の賀の恩恵として珍嬪とその姉は妃に昇格した。その感謝のしるしとして秋の祝典に披露された『紅楼夢』の障壁画は、その抜群の着想で廷臣たちをあっと言わせた。しかしその直後、もう一度全宮廷をあっと言わせる事件が生じる。姉妹そろって妃から無品の貴人に二階級降格させられたのである。(中略)
その問題とは、口利きによる収賄「売官」であった。2
と言うワケで、慈嬉太后に懲罰を受けたのは出しゃばって売官を糾弾したからではなく、還暦祝いの為に売官して儲けたためだったわけですね。このスキャンダルが発覚すると、芋蔓式に珍妃のお付きの太監や慈嬉太后お付きの太監も罪を問われて、死刑に処されています。となると、この事件の二年後には妃に復帰している珍妃と瑾妃はやはり光緒帝の寵愛あつかったと言うコトでしょうか…。もしくはスキャンダルを利用してお仕置きされたモノか…。どっちもありそうですけど。
2008年11月23日 宣和堂撮影 長春宮扁額
長春宮紅楼夢長廊
と、長春宮の写真です。いつもの如く写真はあるんですが、紅楼夢障壁画は絵画保護のためにガラスがビッチリはめ込まれているので、あんまりきれいに撮れないんですよねぇ…。暗いしフラッシュ弾くでまともに撮れたことがありません。自分の技術ではコレが精一杯。
で、個人的には待ちに待ってた李鴻章が漸く(名前だけ)登場するわけですが…原作と扱いが180°違います……。また大陸で評価変わってきたんですかねぇ…。近代化の英雄=ジェネラル・リーではなくどっちかというと、旧態依然とした漢奸買弁のイメージで進めるみたいですねぇ…。
代わって原作では名前が出て来ない馮子材が清仏戦争の英雄として出てきます。自分は寡聞にして知らなかったので、「ええ~清仏戦争って言ったら黒旗軍の劉永福じゃないの?」とガッカリでしたが、調べてみると実在の人物で太平天国関係では有名な人だった模様…。光緒帝とも縁があるので、あの文脈なら劉永福ではなく馮子材なんだろうなぁ…と納得。ちなみにこんなおじいちゃんだったみたいです。
《清史図典》第十二冊 光緒 宣統朝 下 P.222
今でも公園で太極拳してそうなおじいちゃんですが、六十超えてベトナム遠征してフランス軍の大砲の中に矛持って突っ込んで撃退したり、七十超えても義和団が迫る北京に駆けつけようとしたりする元気なおじちゃんだったみたいです。知らないコトっていっぱいあるんだなぁ…。勉強になりました。
さて、今回は春児の取材から始まります。…原作では取材後にハゲでデブで四十絡みのトマス・バートンが岡圭之介を連れて教会を訪れたりして、郎世寧ことジョゼッペ・カスティリオーネとベネチアングラスの関係について語ったりしたのですが、丸ごとカットですねそうですか…。堂子に安置してある龍玉がダミーという設定自体がすでに無いようなので、仕方が無いかも知れませんね…。
で、珍妃の出番です。今回は珍妃が宮中で写真を撮ると言うので一悶着、いつもイライラしてる皇后にイチャモンつけられます。
中央電視台《故宮》第五集 〈家国之間〉より
珍妃が写真好きであったとか、紫禁城にカメラを最初に持ち込んだのは珍妃であるとか、光緒帝とコスプレして太監に撮らせたとか言う話はあったみたいです。ただ、真っ当な本で読んだことがなかったり…。謎ですねぇ…。
で、今回は珍妃が生活していた景仁宮の写真でお茶濁します。
写真は全て2008年11月23日に宣和堂が北京故宮に参観した際に撮影したモノです。
景仁宮の入り口 障壁が大理石
景仁宮の扁額 質素で飾りがあんまり無いです
割と風情のない外観です
2008年11月23日時点では中で陶磁器を陳列してました
多分満洲国経由で摂取された溥儀旧蔵品
景仁宮でしか見なかった大きな木
景仁宮の井戸 ある意味こっちが本当の珍妃井w
東六宮の一つである景仁宮は、康煕帝の生地である…と同時に珍妃が戊戌変法の前に居住していた宮殿です。慈嬉太后が起居した西六宮と比べて地味な印象なのですが、本来は咸豊帝の正皇后・慈安太后が東六宮で暮らしていたことからも分かるように、宮殿のヒエラルキーとしては東の方が上です。
ただ、慈嬉太后の還暦祝いのリフォームが壮麗であったために、西六宮の方が豪華に見えますよね…。景仁宮は珍妃の悲劇性も相まって、非情に質素で閑散とした印象があります。珍妃井よりも気にしてみてる人はいなかったように思います。
留学時代は非公開地域だったので、参観したときにはテンション上がりましたw
で、今回はおまけで美顔ローラー。
永寿宮の展示室にて 手前右が美顔ローラー
前回見つからなかった美顔ローラーの写真です。自分が行ったときには永寿宮の陳列室で展示されてました。記憶は確かでしたw
と言うワケで、今週は親政を睨んでの光緒帝の選秀女=皇后選びですね。ここで有名な珍妃登場です。
ドラマの中でも、光緒帝が徳馨の娘二人の美貌にぽわわ~んとなって危うく未来の皇后の象徴である玉の如意を渡しそうになったのを、慈嬉太后が『皇上!』と、一括して弟・桂祥の娘=姪の靜芬(ドラマでは喜子になってましたが…)に渡すように促してましたね…。この一件で慈嬉太后は徳馨の娘二人に危機感を抱いたため、代わりに長敘の娘二人に荷包を押しつけた…要するに貴嬪として宮中に招いたわけですね。
当然、靜芬は後の隆裕皇太后。長敘の娘二人は後の瑾妃と珍妃です。
故宮周刊 第三十期 第一版→劉宮女の証言では南海で撮影されたという
悲劇性と茶目っ気のある挿話が相まって、人気のある珍妃も絶世の美女とされる事もあるのですが…。男装して光緒帝に侍っているところを臣下と謁見しても、お付きの若い宦官ぐらいにしか思われなかったみたいなので、人目を引く容姿ではなかったのかも知れません。
と言うワケで以前にも出した珍妃?と言われる画像を再掲。
あと、乾隆帝が登場。一神教の神様かよ!という感じの登場でしたが、光緒帝の初夜にデバガメするような茶目っ気はなさそうですね…。壽皇殿は歴代皇帝を祀った場所なので、ああいう感じの使い方で良いんだと思います。でも、壽皇殿は景山の麓にあるんですがそんな感じの描写ではなかったですね。
若き日の乾隆帝 郎世寧画?
今回は乾隆帝の若かりし日の肖像画上げておきます。皇帝の肖像画には落款が無いので普通は作者は分からないのですが、あまりにも独特なタッチなので間違えようがないので郎世寧です。
一方、春児は黒牡丹に弟子入りして京劇の英才教育を受けます。流石に京劇役者さんだけあってこういうシーンは映えますね…。正直驚きました。
あと、王逸の李鴻章麾下への転属ってこんなに早かったかなぁ…と。順桂に比べて王逸の出番が少ないような…。
と、来週は漸く春児の入内…じゃない宮中入りですね。