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宣和堂遺事
《西遊記》のイメージ
- 2008/09/07 日
- 中国文学
ボーッと考えるに、同じ《西遊記》でも、日本では西天取経のエピソード、つまり唐僧初めとする一行がシルクロードを旅しながら妖怪退治する話…と言うイメージなのに対して、大陸では大鬧天宮のエピソード、つまり斉天大聖が二郎神や哪吒を相手に大暴れするイメージの方が強いような…。まあ、自分は小さい頃から大鬧天宮の方が好きなので違和感ないんですけど、ヤッパ違いますよねぇ…。端的に言うと、悟空が輪っかつけてるかつけてないか、触角付きの鎧着てるか紅い服着て虎の皮腰に巻いてるか?と言うぐらいの違いなんですが…。
などと言うコトを張紀中が《西遊記》を撮るという記事を眺めながらうつらうつら考えました。七月に梁羽生原作の《大唐遊侠伝》を放送したとか言う話だから、彼の中では唐代がブームなのかなぁ…。
などと言うコトを張紀中が《西遊記》を撮るという記事を眺めながらうつらうつら考えました。七月に梁羽生原作の《大唐遊侠伝》を放送したとか言う話だから、彼の中では唐代がブームなのかなぁ…。
歴史のかげにグルメあり
- 2008/09/07 日
- 日本史 > 書籍
と言うワケで、黒岩比佐子『歴史のかげにグルメあり』文春新書 を読んでいたら、李鴻章が下関に来たときの記事があったのでちょっとメモ。
李鴻章は下関くんだりまで来て、河豚も食べずに李鴻章雑炊=チャプスイでも作っていたのかしら…と思いました。もっとも、交渉相手の伊藤博文は馴染みの春帆楼を会見場所に指定して、条約締結後にはドンチャン騒ぎをしたみたいです。伊藤博文はこの料亭の河豚を愛したみたいで、折に触れて食べたみたいです。コレより以前、自分で春帆楼にふく料理公許第一号にしたぐらいで、かつ、この後も暗殺直前渡航前にも河豚を食べたみたいですから、よっぽど好きだったんでしょうね。一方、李鴻章は自炊に励んで勧められても拒んだと言うコトみたいですね。何だかその対比が面白かったのでメモ。
日本滞在中は自炊した清国使節団
三月十九日、李鴻章と総勢百数十人の随員を乗せた二隻の汽船が、関門海峡沖に到着して碇を下ろした。伊藤博文は一行のために食事を用意したが、李鴻章はそれを断っている。(中略)
到着した使節団の船からは、おびただしい荷物が陸揚げされ始めた。その様子を『東京朝日新聞』が次のように報じている。
引接寺に運ぶもの統べて車二十六輛荷物百四十個、鍋、釜、火鉢、箸、破茶碗、炭は勿論中には、切掛の豆腐二丁、料理かけし鶏肉数臠、焼豚二三塊も亦竹籠の中にころがれり
料理人まで連れてきた使節団は、日本滞在中もずっと自炊で通している。李鴻章は高齢でもあり、異国の食べ慣れない食事で体調をこわすことを何よりも恐れたに違いない。食料品や飲料水、日用品など、大量の荷物を船に積んできた。(P.127~128)
李鴻章は下関くんだりまで来て、河豚も食べずに李鴻章雑炊=チャプスイでも作っていたのかしら…と思いました。もっとも、交渉相手の伊藤博文は馴染みの春帆楼を会見場所に指定して、条約締結後にはドンチャン騒ぎをしたみたいです。伊藤博文はこの料亭の河豚を愛したみたいで、折に触れて食べたみたいです。コレより以前、自分で春帆楼にふく料理公許第一号にしたぐらいで、かつ、この後も暗殺直前渡航前にも河豚を食べたみたいですから、よっぽど好きだったんでしょうね。一方、李鴻章は自炊に励んで勧められても拒んだと言うコトみたいですね。何だかその対比が面白かったのでメモ。
千年の都・北京 樹と石と水の物語#4
- 2008/09/06 土
- 中国史 > 書籍
と言うワケで、何度もネタにした本ですが、総括。
巻末を見ると元々はテレビ番組と連動した本だった模様…。ちなみに原書はコレだと思われます。
阿南史代《尋訪北京的古迹:古樹、雄石、宝水 -外国人看中国》五洲伝播出版
で、ネットでも雑誌『人民中国』日本版 で連載されていた関係で、日本語でいくらかの記事は読めます。
で、この本で紹介されている建物ですら、残った建築物よりも失われた建築物が多いわけです。この本の中でも義和団事件の際に八ヶ国連合軍が北京に侵入した時や、日本軍が北京を占領した際に壊れたとする建築物も紹介してます。でも、原因として一番多いのがやはり文革。文革によって破壊された寺廟、放逐された僧侶、被害を被りながら何とか生き長らえた文物が淡々と紹介されてます。
十数年前に観光ツアーで北京を廻った際、ガイドの中国の方は今日、観光名所として開放されている場所が、かつて八ヶ国連合軍によって被害を被ったコトを強調してました。聞きはしませんでしたが、恐らく文革による被害の方がもっと大きかったはずです。被写体として写真に撮影されている宮殿はいつ壊れたのか?は比較的判断しやすいのですが、市井の小さなや寺廟は記憶にしか残らないんでしょうねぇ…。と言うコトで、大陸の漢語版がどうなっているのか気になったので購入…届くまで待ってみます。
最近の北京では、文革で否定したはずの民国期の様式を形だけ模倣したテーマパークのような建物が増えている様です。寺廟には既に信仰がない観光地のようですし(コレについては日本も似たようなモノかも知れませんが…)、綺麗に整備された衚衕(《乾隆京城全図》や《日下旧聞考》では胡同はこう表記されてます)は、大規模なテーマパークというべきモノで、生活とは切り離された空間なんでしょうねぇ…。ともあれ、北京奥運に便乗する形で2008年版が作られた旨、あとがきでも触れられています。北京の来し方行く末を考えさせられる本だったと思います。
巻末を見ると元々はテレビ番組と連動した本だった模様…。ちなみに原書はコレだと思われます。
阿南史代《尋訪北京的古迹:古樹、雄石、宝水 -外国人看中国》五洲伝播出版
で、ネットでも雑誌『人民中国』日本版 で連載されていた関係で、日本語でいくらかの記事は読めます。
で、この本で紹介されている建物ですら、残った建築物よりも失われた建築物が多いわけです。この本の中でも義和団事件の際に八ヶ国連合軍が北京に侵入した時や、日本軍が北京を占領した際に壊れたとする建築物も紹介してます。でも、原因として一番多いのがやはり文革。文革によって破壊された寺廟、放逐された僧侶、被害を被りながら何とか生き長らえた文物が淡々と紹介されてます。
十数年前に観光ツアーで北京を廻った際、ガイドの中国の方は今日、観光名所として開放されている場所が、かつて八ヶ国連合軍によって被害を被ったコトを強調してました。聞きはしませんでしたが、恐らく文革による被害の方がもっと大きかったはずです。被写体として写真に撮影されている宮殿はいつ壊れたのか?は比較的判断しやすいのですが、市井の小さなや寺廟は記憶にしか残らないんでしょうねぇ…。と言うコトで、大陸の漢語版がどうなっているのか気になったので購入…届くまで待ってみます。
最近の北京では、文革で否定したはずの民国期の様式を形だけ模倣したテーマパークのような建物が増えている様です。寺廟には既に信仰がない観光地のようですし(コレについては日本も似たようなモノかも知れませんが…)、綺麗に整備された衚衕(《乾隆京城全図》や《日下旧聞考》では胡同はこう表記されてます)は、大規模なテーマパークというべきモノで、生活とは切り離された空間なんでしょうねぇ…。ともあれ、北京奥運に便乗する形で2008年版が作られた旨、あとがきでも触れられています。北京の来し方行く末を考えさせられる本だったと思います。
日々雑感
- 2008/09/04 木
- その他 > ネタ
と言うワケで、ネタはあるけど気力がない。そんなときの小ネタ連発。
気がつくと今週末にはNFLが開幕する模様。嗚呼…いつの間にか9月だったなんて…。正直、マニング弟の試合はどうでも良いのだけど、やはり開幕戦は楽しみ。
Googleっ子の自分も早速DL。早い。しかもかなり…。この記事もGoogle Chromeを使って書いてます。ここ二日使ってみたんですが、個人的にはかなり好感触です。まあ、トータルで考えるとFireFox3の方が使い勝手がイイです…当たり前ですが。でも、漢語サイトを表示させると気持ちGoogle Chromeの方が早いですね。β版なのでマダマダ色々不都合ありそうですけど、ブックマークはおろかクッキーまで引き継いでくれてしまうので、乗り換えストレスはありません。ただ、GoogleのブラウザなのにGoogleツールバーに対応していないのでちょっと不便。他にもIE7やFireFox3なら出来るのに、出来ないコト結構あります。まあ、しばらく遊んでみます。
以前、武藤 臼様が紹介していた西夏文字Tシャツがついに通販開始とか…。メールでのやりとりで通販という流れの様なので、週末にでもオーダーしてみようかと…。
この前書いた燈市口東にある哮天犬像のネタが!現在、哮天犬のお尻が壁にめり込んできてる模様!ショック!(逆だ!)!!そして今更、千田先生のサイトに哮天犬の写真付きの記事があることを思いだしたり…。一個覚えると一個忘れる…自分の記憶の容量はいつも変わらない模様。
……何かの悪い夢なんだよ。それにしても曽田正人原作に当たりなしという気がしてきましたぞ…。
急ピッチで張紀中版《碧血剣》を見ていて、「この何鉄手で出してくれればいいのに…」等と思っていたら、ようやっと発売するようなので…。コッチはともかく胡斐が泣けるデザインなのがなんとも…勝手にウルヴァリンにされちゃってるし…。まあ、縁起物だと思って買うと思いますが…。リュウと春麗買うついでに。
ウワ!思ったよりダラダラしてる!
ウワ!思ったよりダラダラしてる!
哈達門
- 2008/09/03 水
- 中国史 > 故宮
秋口に北京に行こうと画策してます。で、交通に便利なので、地下鉄崇文門駅あたりで宿を探していているのですが、哈徳門飯店も候補に入れていたりします。北京烤鴨の老舗(正確には老舗に便乗した類似店で、本家が先に潰れてしまっただけみたいですが…)便宜坊も入っているホテルです。変な名前です。そう言えば崇文門って別名・哈徳門と言ったりしたような…と、うっすら覚えていたのですが、調べ物をしていて由来を一応…発見。
で、後は当然、哈達大王って誰よ?と言う話になるんですが、コレがよくわかりません。もしかしたら、金軍主力部隊を率いて、オゴデイの征金戦でトゥルイ軍と戦った完顔合達の屋敷かもしてません。旗下の完顔陳和尚と共にモンゴルと戦って善戦したので、モンゴルでも人気があったようですが、完顔合達の屋敷が崇文門内にあったかどうかも分からないので、何とも言えません。そもそも、《金史》巻一百十二 列伝第五十 完顔合達伝によれば、完顔合達は王に封じられたことはないようですし、大王と言われる人なのに、本名で呼ばれたりするの?という疑問もありますし…。まあ、哈達自体が本名ではなく尊称であった可能性も捨てきれませんが…。
ともあれ、大都が建設された当初から、この門には文明門という立派な名前があったのにも拘わらず、今となっては誰だか分からない人の屋敷にちなんだ哈達門という通称で愛され、明・正統年間に崇文門と改称された後も相変わらず哈達門とか哈大門とか哈徳門とか言われ続け、現在もホテルの名称などにその名が生きているようです。
地名のルーツ探るのって、何の役にも立たないんですが面白いですよねぇ…。分かったところで、へーそうなんだ…で終わっちゃうんですが。哈徳門って何だか半蔵門みたいだなぁ…とは思いました。
南之左曰文明。……で、哈達大王って誰なんだろう…。一瞬、満州のハダ部かなぁ…とも思ったのですが、どうも違うようです。この記事の哈達大王の下りは《析津志》からの引用なんですが、《析津志》自体は元代に書かれた地方志のようです。既に散逸しているようで、現在の輯本も《永楽大典》からの抜き出しです。なので、《四庫全書提要》にも項目がないみたいですね。まあ、《析津志》が話題にするくらいですから、哈達大王府は元より前の時代にあった屋敷のようです。
文明門即哈達門。哈達大王府在門内、因名之。
〔臣等謹按〕明史地理志、文明門、正統間改為崇文門。本朝伋其名。
《日下旧聞考》巻十五 城市 内城東城一
で、後は当然、哈達大王って誰よ?と言う話になるんですが、コレがよくわかりません。もしかしたら、金軍主力部隊を率いて、オゴデイの征金戦でトゥルイ軍と戦った完顔合達の屋敷かもしてません。旗下の完顔陳和尚と共にモンゴルと戦って善戦したので、モンゴルでも人気があったようですが、完顔合達の屋敷が崇文門内にあったかどうかも分からないので、何とも言えません。そもそも、《金史》巻一百十二 列伝第五十 完顔合達伝によれば、完顔合達は王に封じられたことはないようですし、大王と言われる人なのに、本名で呼ばれたりするの?という疑問もありますし…。まあ、哈達自体が本名ではなく尊称であった可能性も捨てきれませんが…。
ともあれ、大都が建設された当初から、この門には文明門という立派な名前があったのにも拘わらず、今となっては誰だか分からない人の屋敷にちなんだ哈達門という通称で愛され、明・正統年間に崇文門と改称された後も相変わらず哈達門とか哈大門とか哈徳門とか言われ続け、現在もホテルの名称などにその名が生きているようです。
地名のルーツ探るのって、何の役にも立たないんですが面白いですよねぇ…。分かったところで、へーそうなんだ…で終わっちゃうんですが。哈徳門って何だか半蔵門みたいだなぁ…とは思いました。
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