延禧攻略の小ネタ(宮訓圖十二幀と遮陰侯)
と言うわけで、ゆるゆると《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を見ています。まだまだ序盤なので話は進んでいないんですが、見ていて割と気になるネタがちらほらあるので、メモを。
まず、両把頭(マンジュ女性のヘアスタイル)がこの時代の肖像画や宮中画と同じように小さい(慈嬉太后=西太后のように巨大化するのは清末)とか、辮髪が乾隆年間の風俗画に見えるくらいに毛が残っている部分が少ない…辺りですかね。風俗考証って難しいと思うんですが、この辺力入れてる感じはします。
で、第1集の選秀女の選定基準で出てきた①マンジュ(満洲)女性は纏足をしてはならない、②マンジュ女性には”一耳三鉗“の風習がある…辺りは実際もそうだったようです。ただ、”一耳三鉗“が評価されたかは知りませんが…。
そして、第1集最後に出てきた扁額と宮訓図ですが…これ元ネタあるんですね…。
扁額については《高宗實録》の乾隆6(1741)年11月の項に記事があります。
(乾隆6年11月)癸酉(12日)。諭總管太監。御筆扁十一面。著掛於十二宮。其永壽宮 。現在有扁。此十一面扁。俱照永壽宮式樣製造。自掛之後。至千萬年。不可擅動。即或妃嬪移住別宮。亦不可帶往更換。i
乾隆6年11月に永壽宮に掛かっていた扁額をモデルに他の11宮の扁額を作って前殿に掛けたようです。で、扁額を妃嬪が宮殿を移動する時に持って行くことを禁じています。それぞれの宮殿にどんな扁額を掛けたのかについては、《國朝宮史》に記述があるので表に纏めます。ドラマに出てくるのは、長安宮の”敬修内則“のみですが、他の宮殿も同じように掛かってますね。
で、宮訓圖については《養吉齋叢録》に記事があります。
大内宮東西各列六宮。乾隆間以古后妃之有懿行者、爲宮訓圖十二幀。景仁宮燕姞夢蘭、承乾宮徐妃直諫、鍾粹宮許后奉案、延禧宮曹后重農、永和宮樊姫諫獵、景陽宮馬后練衣、儲秀宮西陵教蠶、啓祥宮姜后脱簪、長春宮太娰誨子、咸福宮婕妤當熊。遇年節則張掛、年事畢、収藏於景陽宮後之學詩堂。ii
こちらは時期がはっきりしませんが、多分、乾隆6年よりはだいぶ後のことと思われます。この記事、何でか永壽宮と翊坤宮が抜けてますが、他の宮殿の内容は《養吉齋叢録》より成立の早い官選書《國朝宮史続編》と一致しています。こちらは年中掛かったままの扁額と違って、普段は景陽宮の後殿・學詩堂に保管してあって、時節のイベント事に各宮殿に掛けてイベントが終わったら仕舞ったようですね。ただ、実物の所在は分からないッぽいですね。
以下、各宮殿の扁額、宮訓圖を《國朝宮史》と《國朝宮史續編》から引用してみます。
宮訓圖十二幀と前殿扁額一覧
所在 | 宮殿名 | 前殿扁額iii | 宮訓圖十二幀iv | 《延禧攻略》 | 史実 |
---|---|---|---|---|---|
東六宮 | 景仁宮 | 贊德宮闈 | 燕姞夢蘭圖 | 舒貴人・淳雪(ナラ氏) | 皇太后(孝聖憲皇后) |
承乾宮 | 德成柔順 | 徐妃直諫圖 | 嫻妃・淑慎(ホイファナラ氏) | 嫻妃 | |
鍾粹宮 | 淑慎温和 | 許后奉案圖 | 純妃・蘇靜好 | ||
延禧宮v | 慎贊徽音 | 曹后重農圖 | |||
永和宮vi | 儀昭淑慎 | 樊姫諫獵圖 | 愉貴人・阿研(珂里葉特氏) 怡嬪(柏氏) | 愉貴妃 | |
景陽宮 | 柔嘉粛敬 | 馬后練衣圖 | 學詩堂(冷宮?) | ||
西六宮 | 永壽宮 | 令儀淑德 | 班姫辭輦圖 | 慶常在・陸晚晚 | 皇太后(孝聖憲皇后) |
翊坤宮 | 懿恭婉順 | 昭容評詩圖 | 潁貴人(バーリン氏) | 惇妃 | |
儲秀宮 | 茂修内治 | 西陵教蠶圖 | 貴妃・高寧馨 嘉嬪(金氏) | (皇后) | |
啓祥宮 | 勤襄内政 | 姜后脱簪圖 | 瑞貴人(ソチョロ氏) | ||
長春宮 | 敬修内則 | 太娰誨子圖 | 皇后・容音(フチャ氏) | 孝賢純皇后 | |
咸福宮 | 内職欽承 | 婕妤當熊圖 |
東西六宮の実際の位置は
⑫咸福宮 ⑨儲秀宮 ■内■ ③鍾粹宮 ⑥景陽宮
⑪長春宮 ⑧翊坤宮 ■三■ ②承乾宮 ⑤永和宮
⑩啓祥宮 ⑦永壽宮 ■宮■ ①景仁宮 ④延禧宮
● 養心殿
こんな感じなので、順番としては内三宮に近い方から東六宮⇒西六宮、南⇒北のように順番に上げているようです。まぁ、延禧宮と永和宮の順番が《國朝宮史》では逆になってますが、《日下舊聞考》と《國朝宮史續編》の順番は一致していますし、実際の位置は上に上げたような感じになるのを勘案して順番変えてました。
ついでにドラマに出てくる各后妃の配置も漢語版Wikipedia参考に入れてみました。
史書からはどの宮殿にどの后妃が居たのかは分かりませんが、孝賢純皇后がどうやら長春宮で生活したらしいことvii viii ixと、皇太后=孝聖憲皇后が永壽宮xや景仁宮xiで生活したらしいことは《清實録》でも確認出来ます。…と言っても、ご存じのようにすぐに慈寧宮西側の壽康宮に引っ越すんでxii、雍正帝の葬儀で一時的に住んでいたみたいですね。
上の表の史実の后妃所在地については《紫禁城100》と言う図録に載っていたので、纏めたモンの何を参考にしたのか今ひとつ分からないので、この辺要注意ですねぇ…。
ついでに各后妃のモデルの出身民族を書いておきますかね…。
■マンジュ⇒皇太后(孝聖憲皇后 二オフル氏)、皇后(孝賢純皇后 フチャ氏)、嫻妃(ホイファナラ氏)、舒貴人(舒妃 イェヘナラ氏)
■モンゴル⇒愉貴人(愉貴妃 珂里葉特氏)、潁貴人(穎貴妃 バーリン氏)、瑞貴人(瑞貴人 ソチョロ氏)
■漢⇒貴妃(慧賢皇貴妃 高氏)、純妃(純恵皇貴妃 蘇氏)、怡嬪(怡嬪 柏氏)、嘉嬪(淑嘉皇貴妃 金氏)、慶常在(慶恭皇貴妃 陸氏)
満蒙漢が満遍なく揃ってますね…。珂里葉特って初めて見たましたけど、なんて読むんですかねぇ…。舒貴人は納蘭明珠の曾孫がモデルですね。また、ドラマの中では皇貴妃の侍女みたいに出てきた嘉嬪も歴とした妃嬪ですね。各宮殿は何人かの妃嬪で住んでいるので、このドラマでは皇貴妃と嘉嬪は同じ宮殿の別の建物に住んでいるという解釈なんでしょうね。○○宮の主人みたいな言い方でその宮殿のメイン妃嬪を表現します。
で、第2集引きから第3週頭までに出てきた霊柏も元ネタがあります。
北海公園にある團城内の承光殿前にある通称遮陰侯と言われる木です。ただ、ネットでは割と記事を見かけるんですが、元ネタがよく分かりません。
金鰲玉蝀橋之東有崇臺、卽臺址爲圓城、(中略)中搆金殿、爲承光殿、卽元時儀天殿之舊也、俗名團殿。(中略)殿前有古栝、槎枒拏攫、傳爲金時遺植。xiii
《國朝宮史》で確認出来るのは、元代の儀天殿旧址・承光殿前の古栝=アブラマツ?が金代からの古木だと言うことだけですね…。元ネタは柏じゃなくて松なんですよな…。
乾隆帝が乾隆11(1746)年にこの古木について詩を詠んでいるので一応載っけておきます。
御製承光殿古栝行
五鍼爲松三鍼栝,名雖稍異皆其儕。
牙槎數株倚睥睨,歲古不識何人栽。
夭矯落落吟萬籟,盤拏鬱鬱排千釵。
徒聞金元飾棟宇,兩人並坐傳齊諧。
甕城久閉殿閣寂,綺榱落色風箏摧。
珊瑚反掛珠簾斷,喬柯雪夜烏鳴哀。
嗟嗟偃蹇凌雲姿,難辭根幹纒蒿萊。
往來或有尋題者,弔古感慨多徘徊。
瓊華遺跡惜就圯,況近紫禁城西隈。
爰葺爰築命匠人,事殊經始攻靈臺。
時向重基駐行蹕,金鰲蜿蜒空明皆。
盤桓嘉蔭撫壽客,真堪弟視竹與梅。
春朝緑雲參天青,秋夕碧月流陰皚。
靈和之栁非倫比,滄桑閲盡依然佳。
滄桑閲盡依然佳,嗚呼,種樹之人安在哉!xiv
精々が”盤桓嘉蔭撫壽客“辺りが日陰を作った伝説の元なのかなくらいですね…。
あと、第3集で出てきた碧螺春ネタ。康熙帝南巡の際に賜名を受けてて、元の名前は”嚇煞人香“だったというのもよく聴く説話なんですが、これも元ネタがよく分かりません。
と、とりあえずはこんな所ですかねぇ…。
参考文献:
鄂爾泰 張廷玉 等編纂《國朝宮史》北京古籍出版社
慶桂 等編纂《國朝宮史續編》北京古籍出版社
于敏中 等編纂《日下舊聞考》北京古籍出版
章乃炜 等編《清宮述闻》故宫出版社
赵广超《紫禁城100》故宮出版社
呉振棫《養吉齋叢録》中華書局
明實錄、朝鮮王朝實錄、清實錄資料庫合作建置計畫
- 《高宗實録》巻154 [戻る]
- 《養吉齋叢録》巻17 [戻る]
- この項すべて⇒《國朝宮史》巻12 宮殿1 内廷 上 [戻る]
- この項すべて⇒《國朝宮史續編》巻55 宮殿5 内廷2 [戻る]
- 《國朝宮史》では5番目 [戻る]
- 《國朝宮史》では4番目 [戻る]
- (乾隆13年3月)辛丑(17日)。上還宮。(中略)戌刻。大行皇后梓宮至京。文武官員及公主王妃以下。大臣官員命婦。內府佐領內管領下婦女。分班齊集。縞服跪迎。由東華門。入蒼震門。奉安長春宮。上親臨視。皇子祭酒。王以下文武官員。俱齊集舉哀行禮。⇒《高宗実録》巻311 [戻る]
- (乾隆42年2月)丙辰(20日)(中略)又宮內之長春宮 。向有孝賢皇后及皇貴妃等影堂。朕不過每歲於臘月二十五忌辰之日一臨。但思列后及聖母。均未有專奉聖容處所。則 長春宮即歲暮亦不便懸像矣。此事著停止。⇒《高宗實録》巻1027 [戻る]
- 宣和堂註:ただし、《高宗實録》では孝賢純皇后が平生過ごした場所としての記述ではなく、梓宮として長春宮を使用したと言う記録で、その後、孝賢純皇后の御影を飾って祭祀したとはいうものの、皇貴妃や歴代皇后も一緒に祀っていることから、もしかして孝賢純皇后と長春宮って関係なくない?と言う気もする。 [戻る]
- (雍正13年9月)辛亥(15日)。(中略)奉皇太后還宮、居永壽宮。上日詣問安。還。居乾清宮南廊苫次。⇒《高宗実録》巻2 [戻る]
- (雍正13年9月)乙卯(19日)。上詣雍和宮梓宮前。行大祭禮。儀與初祭同。禮成。釋縞素。更素服。奉皇太后還宮。居景仁宮。⇒《高宗実録》巻3 [戻る]
- (乾隆元年11月)乙未(6日)。上恭奉皇太后移居壽康宮。皇太后禮服升座。儀仗全設。中和樂。設而不作。上詣慈寧門。行九叩禮。⇒《高宗實録》巻30 [戻る]
- 《國朝宮史》巻15 宮殿5 西苑中 [戻る]
- 《國朝宮史》巻15 宮殿5 西苑中 [戻る]