延禧攻略の小ネタ3(茘枝、清朝と犬)
と言うわけで、またツラツラと《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」)》を見ています。11集~12集あたりでは献上品の茘枝が出てきたんでちょっと調べてみました。
そもそも、茘枝って文献上どれくらいから記述あるのかと思ったら《華陽國志》の巻3蜀志の僰道縣の項iに記述があるんですね。《華陽國志》の編纂が東晋 永和11(355)年で、僰道縣は現在の四川省宜賓市です。四川省でも採れたんだなぁ…という感じですね。
献上品としての記録ってやっぱアレかなと思ったら、やっぱりアレでしたね…。唐玄宗が楊貴妃のために献上されたって記事が《新唐書》に記事がありましたii。この頃から誕生日お祝いに茘枝ってことなんですかね。産地はぼんやり南方なんですね。
で、清朝での茘枝の記述は結構早くて順治4年の広東省の平定の記事からですね。
(順治4年7月)甲子(25日)。(中略)以廣東初定、特頒恩詔。詔曰。(中略)一、廣東起解戶禮兵工四部折色錢糧。金花、黃白蠟、烏梅、五棓子、螣黃、黑鉛、桐油、黃熟銅、圓眼、菉筍、荔枝、香蕈、木耳、砂、核桃、蜂蜜、藥材、四司料價、胖襖、胭脂木、南棗木、紫榆木、紫竹、梨木、翠毛、均一料、魚油料、蔴、鐵、鐵稅、會試、會同館、協濟昌平本色錢糧、黃白蠟、芽茶、葉茶、銀硃、貳硃、生漆、錫、生銅、藥材、廣膠、并鋪墊水腳銀兩。俱照萬歷四十八年額數。自順治四年正月初一日以前。已徵在官者。起解充餉。拖欠在民者。悉行蠲免。iii
まぁ、順治4(1647)年、広東省の平定に際して税を万暦48(1620)年の額に戻します…と言う記事の中に茘枝が上げられています。ただ、この年1月に清朝は広東省を制圧しているので、何で7月まで放置してたのかなって言うのは気になりますが、広東省なんですね。
で、献上品としての茘枝の記述は雍正7(1729)年に、広東省の献上品として出てきます。
雍正七年,考選四川道監察御史,八閱月,章數十上。嘗歷詆用事諸大臣,謂:「朝廷都俞多,吁咈少,有堯、舜,無皋、夔。」上不懌,召所論列諸大臣大學士朱軾、張廷玉 輩並及元直,詰之曰:「有是君必有是臣。果如汝所言無皋、夔,朕又安得為堯、舜乎?」元直抗論不撓,上謂諸大臣曰:「彼言雖野,心乃無他。」次日,復召入,獎其敢言。會廣東貢荔枝至,以數枚賜之。iv
大臣とやり合った後に翌日に下賜してるあたり、やはり雍正帝…って感じです。
ほんでは、清朝の茘枝の献上品は広東省だったの?と言うとそうでもないみたいですね。
(乾隆41年10月)辛丑(3日)。飭禁各省貢獻。諭、向來各省督撫、例進方物。如雲南、雲產石。福建、柑橘荔枝之類。隨所產陳獻。仍不外乎任土作貢之義。乃閱時既久。督撫等踵事增華。即有購覓古玩充貢者。其始因恭逢皇太后七旬、八旬、萬壽大慶。及朕六旬萬壽。各督撫備物以申忱悃。尚非過分。伊等遂習焉不察。於每歲萬壽、年節、亦一例呈進。朕因其既已遠致。不得不量收數種。以聯上下之情。(中略)因亦擯而不用。久有旨勿許再進。即此亦可知朕之好尚矣。嗣後各省督、撫、除土貢外。毋得復有進獻。在京王、公、頭品大臣。及內廷翰林等。亦當一體遵照。並將此通諭知之。v
乾隆41(1776)年に乾隆帝が贅沢品の献上を誡める訓示の中で、福建省の茘枝が贅沢な献上品の代表例として上げられてますね。ここでようやく福建の茘枝が出てきました。ただ、贅沢を誡める文脈で出てきますねぇ…。
皇太后の喜寿と傘寿の萬壽大慶や乾隆帝自身の還暦萬壽大慶のような特別な誕生日ならわかるけど、毎年と時候の挨拶の時までこんな贅沢品献上せんでもええんちゃうか?と、言ったところでしょうか。茘枝に限らず贅沢品の献上をあまり乾隆帝が喜んでいなかったと言うことになるんでしょうけど(建前としては…でしょうけどね)、乾隆6年から何十年も後のことですから、当時はドラマみたいなこともあったのかもしれないですけど。
で、清朝宮廷の犬となると…雍正帝はかなりの犬好きだったと言われていますが、乾隆帝も郎世寧(Giuseppe Castiglione)に〈十駿犬圖〉を描かせるくらいには愛着持ってた様ですしね。清朝と犬は距離が近い位置に居たように思います。猟犬ってなると鷹狩りの鷹と同じような位置なんでしょうかねぇ。清初の人名では犬に因んだ名前をつけたくらいですし…例えば安親王・ヨロ(Yolo 岳樂)はチベット犬の意味だったりします。あんまり犬に対してマイナスイメージないみたいですけどね。