尚食 その3 ティムール朝使者の見た三大殿焼失

戯猿図

 で、前回までは長めだったので、今回は短めに…。前回の記事で触れ魚・呂の乱なんですが、ネット見るにこの魚氏は音通の喻氏のことではないかという説があるようなのですよな…。

(永樂19(1421)年3月)甲申(22日)。賢妃喻氏薨。上輟朝一日。賜祭。謚昭順喪葬禮視昭獻貴妃云。i
永樂十九(1421)年夏五月壬戌朔(1日)(中略)加謚昭順賢妃喻氏為忠敬昭順賢妃。ii

 前回触れた記事でも魚氏の印象が薄い割に魚・呂の乱と真っ先に名前が挙げられていたりよく分からないのですが、誅戮が出るような事件の発端になった人に追号なんてもらえるんでしょうかねぇ。ちょっと、この辺りからしてピンとこないので、自分が書いた記事もモヤッとした記事にはなってます。
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  1. 《明 太宗實錄》卷235 [戻る]
  2. 《明 太宗實錄》卷237 [戻る]

尚食 その2 永楽年間二つの後宮疑獄事件

《三陽開泰》

 と言うわけで、前回紹介した韓麗妃の記事ですが、《朝鮮王朝実録》の同じ箇所に興味深い記事がありましてですね…。まぁ、《尚食》で言うところの6話~7話辺りの喩美人の放火に関わることですね…。

先是,賈人子呂氏入皇帝宮中,與本國呂氏以同姓,欲結好,呂氏不從,賈呂蓄憾。及權妃卒,誣告呂氏點毒藥於茶進之,帝怒,誅呂氏及宮人宦官數百餘人。後賈呂與宮人魚氏私宦者,帝頗覺,然寵二人不發,二人自懼縊死。帝怒,事起賈呂,鞫賈呂侍婢,皆誣服云:“欲行弑逆。”凡連坐者二千八百人,皆親臨剮之,或有面詬帝曰:“自家陽衰,故私年少寺人,何咎之有?”後帝命畫工圖,賈呂與小宦相抱之狀,欲令後世見之,然思魚氏不置,令藏於壽陵之側。及仁宗卽位,掘棄之。亂之初起,本國任氏、鄭氏自經而死,黃氏、李氏被鞫處斬。黃氏援引他人甚多,李氏曰:“等死耳,何引他人爲?我當獨死。”終不誣一人而死。於是,本國諸女皆被誅,獨崔氏曾在南京,帝召宮女之在南京者,崔氏以病未至,及亂作,殺宮人殆盡,以後至獲免。
韓氏當亂,幽閉空室,不給飮食者累日,守門宦者哀之,或時置食於門內,故得不死。然其從婢皆逮死,乳媪金黑亦繫獄,事定乃特赦之。i

 ちょっと難解だったんですが、韓麗妃の死後にその事績を纏めている箇所なので、時系列がかなり飛ぶんですよな。
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  1. 《朝鮮王朝 世宗實錄》 卷26 [戻る]

尚食 その1明朝の殉死と莊妃のモデル

戯猿図

 と言うわけで久しぶりの記事です。緊張しますね。
 テレビで久しぶりに中華ドラマを見始めまして…《尚食(邦題:尚食(しょうしょく)~美味なる恋は紫禁城で~)》ですね。《延禧攻略(邦題:瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~)》の主要スタッフと主演キャストが再集結して撮られたドラマですね。
 まぁ、どっちかというとチャングムと延禧攻略の要素を合体させて、舞台を明朝にした…って感じですが。

 個人的には最近読んだ、馬伯庸(《三国機密》や《長安十二辰》の原作者!)『両京十五日 1: 凶兆』ハヤカワ・ミステリ と時代が近い上に、主役級の朱瞻基が出てくるところも被るので楽しみにしてたんですが、別側面過ぎて霊基が違う!となること請け合いです。自分は両京十五日の朱瞻基を許凱で見たいんですが多分だめですよな。 Read more

清朝初期のチベット僧たち:1

 気がつくと一年以上放置してましたね…。と言うわけで、コロナでバタバタしてたら静岡から東京に居を移すことになって更にバタバタしてました。記事を書くほどに暇が出来たわけではないのですが、お蔵入りしていた記事を引っ張り出してきました。
 と言うわけでこの記事は、池尻陽子『清朝前期のチベット仏教政策』汲古書院 を読みながら、清朝治下で活躍したチベット僧を並べてみたものです。と言ったところで、他の論文読みながら補足もしてるんですけどね…。何にしても、この辺は清朝モンゴル政策とも絡んでくる部分なんですが、あまりお手軽にアクセス出来る情報がなかったので、お手軽な備忘録を作ってみたものです。
 この辺の前史は以前纏めた明末チベット僧のインテリジェンス活動~袁崇煥と王喇嘛、李喇嘛~をご覧になっていただくとして、とりあえずは苦心したヌルハチホンタイジ期です。
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明末チベット僧のインテリジェンス活動~袁崇煥と王喇嘛、李喇嘛~

大金國璽影印

 清朝チベット仏教政策を調べていたら、清初…というか明末に対モンゴル、対マンジュ交渉…というか諜報活動で活躍した二人のチベット僧が出てきたので、とりあえず纏めておきます。縦横家のように舌先三寸でモンゴル諸部をマンジュから離反させた王喇嘛と、袁崇煥ホンタイジとの和平交渉を担った李喇嘛の事績が中心です。
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