黄馬掛その2
先日、珍しく過去に書いた記事黄馬掛にコメントをいただきました。
馬掛けの下の着ている裾の長い衣服は片方に継ぎ目がある使用なのでしょうか??
うん?継ぎ目?なんだろそれ…とコメントだけ読んでも全く理解出来ませんで、とりあえず当該記事の当該画像を確認して見ました。
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宣和堂の節操のない日記
先日、珍しく過去に書いた記事黄馬掛にコメントをいただきました。
馬掛けの下の着ている裾の長い衣服は片方に継ぎ目がある使用なのでしょうか??
うん?継ぎ目?なんだろそれ…とコメントだけ読んでも全く理解出来ませんで、とりあえず当該記事の当該画像を確認して見ました。
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去年くらいからにわかに《清実録》の事が気になっていたので、ちくちく検索をしていたところ、こんな記事を見つけました。
2014年2月10日付の記事ですが、どうやら東洋文庫ミュージアムで《大清世祖仁皇帝実録》が展示されていたと言う内容のようです。この記事ではこの実録の収蔵先がよく分かりませんが、基本的に東洋文庫ミュージアムは東洋文庫の収蔵品のみを展示しているはずです。色々知りたいことはあるものの情報量が少なすぎて何とも言えません。しかし、この記事を見かけて自分は…え?日本に大紅綾本なんてあるの?それって瀋陽本なの?皇史宬本なの?と、一人で舞い上がってしまいましたが、とりあえずこれ以上の情報が検索しても出てこなかったので、悶々としていました。
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と、前回の続きで康煕帝の皇子達の王府の位置を再度調べて見ました。
本文に入る前に、以前に作った地図を《清北京歴史地図》iで不明確だった王府の位置を特定したり、後で入手した資料で補強した地図を提示しておきます。
思ったほど偏ってはいないんですが、何故か西南隅には王府がなかったみたいなんですよねぇ…。折角地図にしたのでちょっと八旗の居住地と王府の位置関係も確認して見たのですが今ひとつよく分かりませんでした。あと、平西府と密雲県博物館もチェックしてます。
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と言うワケで辮髪画像が整理つかなくなってきたので、その過程で見つけた…というか今まで気がつかなかっただけなんですが、黄馬掛の画像を見つけたので、お茶濁すべくアップ。
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と言うワケで、菊池章太『義和団事件風雲録 -ペリオの見た北京』あじあブックス を読了。義和団事件と言うよりは、ペリオの日誌の北京部分にフォーカスを当てた本ですね。ペリオは言わずもがな、敦煌文書で有名なフランスの東洋学者ですね。