地上の天宮 北京故宮博物院展

 と言うワケで行ってから一月も経ってしまった上に、もう終わった展示の記事を今頃書いてみたりするのです。
 今回は4月の下旬に東京富士美術館で行われていた地上の天宮 北京故宮博物院展です。正直なところ、東博での特別展 北京故宮博物院200選記事1と比べるとどうしても見劣りするわけですが、まぁ、アレも政治的な何かでしょうから、こちらも思ったよりは面白い文物は来てたんですよ?と言うコトで、チョコチョコ見ていきましょう。

 №2A:《孝賢純皇后朝服像》軸 →これは郎世寧の筆のモノでしょうね。特別展 北京故宮博物院200選でも皇帝の肖像画であのタッチを油絵ではなく、顔料絵の具で表現していることにやっぱり驚きます。何度見ても凄いですね。
 №8:玉「孝荘皇后之宝」は…こんなのも残ってるんだなぁ…と、素直に感心しました。ホンタイジの皇后で順治帝フリンの生母にしてドルゴンに再嫁したとも言われる人物の判子です。
 で、№9:金亀紐「珍妃之印」№10:銀鍍金珍妃冊珍妃の印と、慈嬉太后の怒りを買って降格された後に再度に封じられたときの冊です。実物残ってるんですね。
 珍妃をクローズアップしたからか?№11A-B:慶寛「光緒帝大婚典礼全図」も来てました。これも《康煕南巡図》同様に、ハレの日の紫禁城の様子が描かれているので、前から見たかった絵なのですが、何となく絵巻物だと思ったら画冊なんですね。一場面一場面を切り抜くような絵だったことに驚きました。何でも実物見て見るモンですね。
 キャッチーなネタとして慈嬉太后西太后の肖像画である№93:慈嬉太后便服像も来てました。徳齢の著作ではアメリカ人女性画家カールパリ万博に出展するために描いた…という触れ込みで紹介されていました。なんだか徳齢って言う人は著作での表現がオーバーで信用出来ないからか、図録でも書いたとされる…って感じに紹介されてますね。
 で…この展示の目玉である№22:《女孝経図》巻なのですが…南宋の絵画という意味なら、もっと他にあるような…という気がしてしまい、あまり惹かれませんでした。まぁ、テーマには合うんでしょうけどあまり魅力があるとは思えませんでした。中に描かれている文士の顔が徽宗の作であると言われる《聴琴図》に似てるなぁ…とか、乾隆帝の印爾がやたら押してあるな~とかそれぐらいしか感想がなかったです。
 それよりは、複製ではあるモノの、留学時代に北京で見て以来、15年ぶりに見る№54:顧閎中《韓熙載夜宴図》巻の方がテンション上がりますね。南唐韓熙載の宴会の様子が闊達に書かれていて実に興味深いです。まぁ、当時の大臣級の人が李後主に疑われて密偵されたあげくの報告書…という触れ込みの絵なんですが、それにしては気合い入りすぎだと思うんですがねぇ…。まぁ、これも《清明上河図》と並び称される名画ですから、真筆の方が来てたら五時間待ちとかだったのかも知れません。と言うか、そもそも新中国になってから真筆が展示されたことがあるのかさえ疑わしいのですが…ww
 で、№24A:《乾隆帝及妃威弧獲鹿図》巻は良く見る、乾隆帝が鹿に矢を射て、寄り添うが矢を差し出している絵ですね。これも部分は見たことはありましたが、全幅は初めてです。っと、今、図録のキャプション見たら矢を差し出している后妃容妃ではないか?と書かれてますね…。所謂、香妃伝説のモデルになったと言われる人物です。で、良く見ると確かにこの后妃はお下げ髪を垂らしてますね。風俗的にはマンジュモンゴル漢族も女性がお下げ髪にすることはおおよそありません。ならばこの后妃ウイグルとする方がなんだか説得力がありますね。香妃かどうかは置いといたとしても…ですが。
 あとはおなじみの美顔ローラーも来てたんですが、自分が目に止めたのはこの程度と言うコトで。この展示は女性に焦点を当てていたので、比較的宝石とか服飾、装飾品の展示が多かったように思います。
 まぁ、ワザワザおっかない思いしながら八王子まで行った甲斐はありましたね。もっと近場ならもっとよかったんですが、それも贅沢でしょうしw

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