契丹[遼]と10~12世紀の東部ユーラシア

 と言うワケで、『アジア遊学 契丹[遼]と10~12世紀の東部ユーラシア』勉誠社 をツラツラ読んでました。

 実に興味深い内容でしたね。ただ、キタイそのものの歴史ではなくその周辺の歴史…という感じに終始していたのは痛し痒しという感じでしたが。ただ、キタイの国際関係というのはなかなか面白かったデスねi。崩壊したウイグルの一部がキタイに吸収されたと言う指摘は面白かったデスね。

太祖淳欽皇后述律氏,諱平,小字月理朶。其先回鶻人糯思,生魏寧舍利,魏寧生慎思 梅里,慎思生婆姑梅里,婆姑娶勻德恝王女,生后于契丹右大部。ii

 《遼史》の述律皇后の冒頭にもこう書かれているとおり、ウイグルの子孫だったと言われているわけでさもありなんですが、そう言われてみれば…という感じですね。キタイの役職にはウイグル語…と言うか古トルコ語起源のモノも多いと言う指摘iiiも面白いですね。政治的にはウイグルの影響が強かったんでしょう。他にも五代十国各王朝との外交関係やiv、澶淵の盟を中心とした対宋関係v、勃海との関係vi。直接交渉はなかったものの日本との関係を仏教を通じてみるというのは面白い視点viiでしたね。
 北面官南面官の語彙がキタイでは皇帝が西に座り東面し、それを挟んで左右に臣下が列んだのが語源とかちゃんと資料読めば分かる指摘viiiもちゃんとしててなかなかありがたかったです
 遺跡の発掘や契丹文字の解読状況なども興味深かったのですが、やはり散文的でイメージ湧かないですねぇix
 あと、歴代帝王廟の所でも触れましたが、清代皇帝によるキタイの評価x楊家将ネタxiは面白かったデス。特に、エセン・ハンと対峙した楊洪という宣府に鎮した武将が、やはり一族で武名を上げて当時楊家将と称されたと言うのはしらんかったです。《于少保萃忠全伝》にも楊家将として出て来るみたいです。
 ニマニマしながらまたツラツラ読んでみます。

  1. 一 契丹[遼]とその国際関係 [戻る]
  2. 《遼史》巻七十一 列伝第一 后妃 太祖淳欽皇后述律氏 [戻る]
  3. P.56 契丹とウイグルの関係 [戻る]
  4. P.34 五代十国と契丹 [戻る]
  5. P.44 澶淵の盟について─盟約から見る契丹と北宋の関係 [戻る]
  6. P.70 [コラム]契丹と勃海との関係 [戻る]
  7. P.76 遼帝国の出版文化と東アジア [戻る]
  8. P.115 契丹国(遼朝)の北面管制とその歴史的変質 [戻る]
  9. 三 契丹研究の新展開─近年新出資料から [戻る]
  10. P.264 清人の見た契丹 [戻る]
  11. P.253 明代小説にみえる契丹─楊家将演義から [戻る]

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