延禧攻略の小ネタ2(オシャン収賄事件)

 と言うわけで、《延禧攻略(邦題:「瓔珞(エイラク)~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~」》を引き続きツラツラ見ているのですが、第7集~第8集でオシャン(鄂善 Ošani)収賄事件が出てきます。まぁ…調べると実録にもこの事件は出てくるんですね。

 と言うわけで、以下適当な訳をつけますが、関係ないとおぼしき部分や乾隆帝の回りくどい言い回しその他は適当にカットして読み飛ばしてるので、誤読してる時はご指摘していただけるとありがたいです。

(乾隆6年3月)甲申(19日)。諭、據御史仲永檀參奏、提督鄂善、於張鳴鈞發掘銀兩案內。有俞長庚妻父孟魯瞻、轉託范毓馪、與提督說合。送銀一萬兩。屬其照拂。並侍郎吳家騏、亦曾得姓銀二千五百兩。又稱原係風聞言事。據實密奏。以備訪查等語。鄂善係朕倚用之大臣、非新用小臣可比、伊意欲朕訪查。不知應委何等之人。若委之禁近小臣。豈大臣不可信。而小臣轉可信乎。若委之大臣。又豈能保其必無恩怨乎。况命人暗中訪查。而朕不明言。藏於胸臆間。是先以不誠待大臣矣。此事甚有關係。若不明晰辦理。判其黑白。則朕何以任用大臣。而大臣又何以身任國家之事耶。著怡親王和親王、大學士鄂爾泰張廷玉徐本、尚書訥親來保、秉公查審。使其果實。則鄂善罪不容辭。如係虛捏。則仲永檀自有應得之罪。王大臣必無所偏徇於其間也。仲永檀又奏稱向來密奏留中事件。外間旋即知之。此必有串通左右、暗爲宣洩者。則是權要有耳目。朝廷將不復有耳目矣、等語。朕於左右近侍。訓約甚嚴。防閑甚密。數年以來。凡密奏留中之件。皆朕親自緘封。並有覽閱之後。默記於中。比時即焚其稾者。實無宣洩之隙。其有宣洩於外者。則皆係本人自向人言。以邀名譽。而反謂自內宣洩。以爲掩飾之計。朕猶記方苞進見後、將朕欲用魏廷珍之意。傳述於外。並於魏廷珍未經奉召之前。遷移住屋。以待其來京。此人所共知者。又李紱曾經召對。朕以君不密則失臣、臣不密則失身之義、訓諭之。伊稱臣斷不敢不密。但恐左右或有洩露耳。朕諭云朕從來召見臣工。左右近地曾無內侍一人。並無聽聞。亦何從洩露。如此二人者。則皆此類也。至於權要串通左右一語。朕觀此時、並無可串通之左右。亦無能串通左右之權要。伊既如此陳奏。必有所見。著一併詢問具奏。朕之所以廣開言路者。原欲明目達聰。以除壅蔽。若言官自謂風聞言事。不問虛實。紛紛瀆陳。徒亂人意。於國事何益。是以此案必須徹底清查。不便含糊歸結。亦正人心風俗之大端也。仲永檀摺併發。ii

 乾隆6年3月19日。御史仲永檀が密奏して弾劾するには、提督オシャン張鳴鈞が監督した銀鉱でiii採掘された銀について二件の疑惑があり、俞長庚とその岳父孟魯瞻范毓馪と結託してオシャンと談合し、その見返りとして銀1万両を送り、その一党である侍郎吳家騏もまた俞姓の銀2千5百両を得たとの風聞がある…と。
 これに対して乾隆帝オシャンは自ら抜擢・起用した権臣なので、新たに起用した下っ端の役人とはワケが違う、疑惑を徹底的に調査して虚実を究明するべし、と厳命します。特に怡親王弘曉和親王弘晝大學士オルタイ(鄂爾泰 Ortai)、同・張廷玉、同・徐本、尚書・ネチン(訥親 Neciniv)、同・ライブー(來保 Laiboov)に命じて共同審理をさせました。乾隆帝曰く、オシャンの罪は許しがたいが、もしこれが仲永檀による根拠のない讒訴であったなら、仲永檀は相応の罪に問われるだろう…と。また、仲永檀が密奏した内容がすでに世間では周知されていたと言うことは、情報が漏洩しているとしか考えられない。恐らく本人が売名のために漏らしているのだろう。云々と。
 初めは仲永檀の売名行為を疑い、オシャンは虚偽の誣告を受けたと見てたみたいですね。

(乾隆6年3月)庚寅(26日)。諭王大臣等。御史仲永檀參奏鄂善得受俞長庚賄賂一案。朕初以爲必無之事。仲永檀身恃言官。而誣陷大臣。此風斷不可長。但事不查明。何以治仲永檀之罪。因而派王大臣七人。秉公查審。屢經研訊。逐日奏聞。乃鄂善家人及過付人等。俱各應承。是鄂善受賄之處。已屬顯然。朕特召和親王、大學士鄂爾泰、尚書訥親來保、同鄂善進見。面加詢問。鄂善始猶抵飾。朕諭之曰。此事汝家人及過付之人。皆已應承。汝能保汝家人捨命爲汝。而自認此贓爲己吞乎。若能如是。事亦可已。若不能如此。此數人者出。將秉公嚴詢。彼時水落石出。汝一身之事。所關甚小。而朕用人顏面。所關則大。汝若實無此事則可。若有。不妨於朕前實奏。朕另有處置。而諭此數大臣從輕審問。將此事歸之汝家人。以全國家之體。設非朕有指示。此數人者。但知秉公而已。敢如是辦理乎。鄂善熟思。乃直認從家人手中得銀一千兩是實。朕以鄂善在朕前。已經自認。毫無疑竇。以皇考及朕平日深加信用之大臣。而負恩至此。國法斷不可恕。若於此等稍有寬縱。朕將何以臨御臣工。但朕心尚欲以禮待大臣。以存國體。賈誼曰。其有大罪者。聞命則北面再拜。跪而自裁。上不使人捽抑而行之。朕之處鄂善。亦猶是耳。因垂淚諭之曰。爾罪按律應絞。念爾曾爲大臣。不忍明正典刑。然汝亦何顏復立人世乎。汝宜有以自處也。乃彼既出之後。朕猶恐如此辦理。或有過刻之處。又令和親王等四人、會同大學士張廷玉福敏徐本、尚書海望、侍郎舒赫德、再加詳議。據王大臣等奏稱、鄂善婪贓負國。法所不容。人心共憤。理當明正典刑。乃蒙天恩。容其自盡。實無過刻之處等語。朕因令訥親來保前往。將王大臣奏帖、與鄂善閱看。並傳諭曰。朕於大臣。視同手足。今爾負朕至此。朕萬不得已。如此辦理。自降旨之後。心中戚戚。不能自釋。如人身之失手足也。汝心中若有欲言之事。不妨向二人再行陳奏。鄂善忽奏稱我錯聽皇上諭旨。以爲我家人已供我得銀一千兩。又聽得諭旨云。爾係皇考及朕信用之大臣。如果有受賄實情。可在朕前據實奏出。朕另有辦處。以全大臣之體。我因皇上屢次降旨。滿尚書皆可信其無他。今我被人參劾。審有得銀之供。恐皇上辦理爲難。是以一時應承。我實無贓私入己。如家人供出我來。我情願與之質對等語。朕當爾等面詢鄂善時。總以至誠開導。欲得其實情。爾等皆爲之感泣。鄂善亦良心發見。俯首無辭。因而直認不諱。此時並未以威懾之。以言誘之。以刑訊之也。旋命訥親來保、傳旨與伊。朕意彼若自知罪重。誠心悔過。或以罪當監候。懇切哀求。尚欲緩其須臾之死。乃鄂善無恥喪心。至於此極。其欺罔之罪。即立時正法。亦不爲枉。夫朕之所以令彼自處者。欲全國家之體。而賜彼以顏面也。乃彼自不惜顏面。朕將何惜。豈皇考在天之靈。不容此負恩之輩。冒恩苟免。欲使明正典刑。以儆戒大小臣工耶。可將鄂善革職。拏交刑部。著福敏海望舒赫德、會同爾等嚴審。則虛實自見。或因鄂善愧懼。一時錯認。亦未可知。王大臣必不阿朕旨、而故入人以重辟也。夫奸盜等案。朕尚熟思審慮。期於至當。况鄂善曾爲大臣者乎。朕爲此事數日以來。寢不安席。食不甘味。深自痛責。以爲不如皇考之仁育義正。能使百爾臣工。兢兢奉法。自不致身陷重辟。水弱之病。朕實蹈之。若再不明彰國法。則人心風俗。將來何所底止。朕之苦衷。亦惟皇考在天之靈鑒照之耳。垂淚書此。王大臣其體朕意焉。布告天下。咸使聞知。vi

 ところが、約1週間後に審理命令を受けた王大臣7名がオシャン収賄事件の捜査を行い、その報告が乾隆帝に続々と入ってくると事態は一変します。
 まず、オシャンの家人や使用人が供述すると、オシャンが賄賂を受け取ったことを認めたことで、収賄の事実が証明されました。
 乾隆帝和親王弘晝大学士オルタイ尚書ネチンおよびライブーとともに、オシャンと面会して直接問い糾しました。オシャンは考え込んだ後に、家人が銀1千両を貰ったのは事実だと素直に認めました。
 乾隆帝を前にしてオシャンが収賄の事実を認めた以上、オシャンの罪状は明らかです。しかし、オシャンが退室すると、乾隆帝は捜査に万が一間違いがあってはいけないし、罪状が明らかであっても過剰に刑を科してはならない…と、和親王他4名と会同大学士張廷玉フミン(福敏 Fumin)vii徐本、尚書海望viii、侍郎シュヘド(舒赫德 šuhede)を呼んで再度審議させることにしました。大臣等が言うことには、オシャンは権力を欲しいままにして賄賂を受け取ったので、法の容認するところではありませんし、世論はこれを聞いて憤慨しています、刑法に照らし合わせて自尽を賜るべきでしょう…と奏上します。
 乾隆帝自身は不満もあったものの審理を受け入れ、オシャンを革職した上で刑部フミン海望シュヘドに審理を預けた。オシャンが恐怖に駆られて衝動的に虚偽の自白していないか確認し、乾隆帝の旨に阿る様なことなく公明正大な審理をするようにと言付けました。

 乾隆帝オシャン助ける気満々で王大臣に説得されてますやん…(それでもオシャンのことがあってから、よく眠れず食もすすまないとか言ってる辺りちょっと…)。でも、賄賂の額がしらっと1万両から1千両になっているのはお咎めないんですかねぇ…。

(乾隆6年3月)辛卯(26日)。(中略)諭、前據御史仲永檀參奏鄂善得受賄賂一案。朕初心疑爲必無此事。特令王大臣等秉公察審。務得實情。今據王大臣等。悉心根究。逐日將情形奏聞。鄂善顯有納賄情弊。昨朕召伊進見。面加詢問。伊亦自行承認。及朕遣訥親來保傳旨宣諭。伊忽支飾改供。小人之情狀畢露。其爲納賄。確實無疑矣。仲永檀身爲言官。能發奸摘伏。直陳無隱。甚屬可嘉。應加超擢。以風臺諫。著將僉都御史鄭其儲、調補順天府府丞。其僉都御史員缺。即將仲永檀補授。至仲永檀摺內所奏大學士等到俞姓送帖弔奠一事。令查詢明白。全屬子虛。然伊得之于枋之口。則非伊捏造可知。又奏留中密摺宣洩於外一事。伊既舉出吳士功參奏史貽直一件。查上年吳士功果有此奏。現在交王大臣等查詢。是伊亦並無妄言之咎。俱不必向伊置問。朕始疑仲永檀妄言誣陷大臣。故欲加罪。令查詢有據。旋即加恩擢用。朕大公至正之心。可以對天地。亦可以對臣民。自今以後。諸居言官之職者。皆當以仲永檀爲法。而不必畏首畏尾矣。ix

 更に翌日、乾隆帝オシャン収賄事件について、初めはオシャンを全く疑わなかったが、王大臣に共同審理させてその報告を日々聞いたところ、オシャンが収賄したことは明白で、昨日自らオシャンと接見したところ、オシャン自身が罪状を認めたので、ネチンライブーを派遣して訓戒を授けた。仲永檀の密奏は事実であったことが判明した。乾隆帝は初め仲永檀が権臣を妄りに誣告しようとしているのだと思って、罪を与えようとしていたのだが、捜査結果が密奏の正確さを証明した。皆仲永檀を見習うように…と語りました。
 一日経てついに仲永檀を褒め始めます。どうやら接見後に派遣したネチンライブーからの報告がまずかったみたいですね。

(乾隆6年4月)己酉(15日)。(中略)刑部等衙門、會同九卿科道議奏。陞任御史仲永檀。參奏原任提督鄂善、於俞廷試家發掘銀兩。受賄婪贓、照律科斷、應擬絞候、一疏。諭、此案情節。朕從前所降諭旨。甚爲明晰。鄂善婪贓受賄。已在朕前自認不諱。毫無疑竇。國法斷不可恕。朕尚欲以禮待大臣而存國體。不忍明正典刑。令其自處。又令訥親來保、前往傳旨。鄂善此時。或以罪當監候。懇切哀求。未嘗不可緩其須臾之死。乃伊無恥喪心。將在朕前面認之語。肆行抵賴。此尚不謂之欺罔乎。尚不謂之大不敬乎。經王大臣等、將伊擬絞立決。實屬情罪相符。朕所以復命九卿科道會議者。原欲使諸臣共知此案情節。亦處治重罪。例應三覆奏之意。今九卿科道等、忽改爲擬絞監候、以爲婪贓之罪。律當如是。獨不思鄂善之重罪。在於欺罔、大不敬。今止照伊輕罪定擬。而置重罪於不問。有是理乎。從來案情介於疑似之間者。臣工或從重定擬。以待奉旨改輕。謂爲恩出自上。朕尚以爲不可。豈有全無疑義之事。而反議從輕者。將竟視朕爲姑息優柔之主乎。此則大非朕所望於九卿者也。朕於此案、再三斟酌。未嘗不欲從寬。即遣王大臣向鄂善降旨時。亦非必不可暫緩其死。無如伊輾轉狡獪。自陷重辟。若照九卿改議。則朕前旨。不且爲無著之空言乎。寬縱至此。何以御臣工而昭國憲。鄂善本應照後議即時處絞。但刑於市曹。朕心始終不忍。著新住、五十七、前往刑部。帶鄂善至伊家。令其自盡。餘著照原議完結。至於九卿此議。錯繆已極。是何意見。著大學士傳旨嚴行申飭。x

 そして、翌月15日、刑部などの衙門から審理の結果が奏上されます。オシャンの収賄は国家が採掘した銀両に関する収賄なので、刑法に照らし合わせて絞監候(絞首刑?)が相応しい…と。乾隆帝は、この事件の罪状は明確でオシャンは収賄したことを面前で認めたことで一分の疑いもない。そのあとにネチンライブーを派遣して訓戒を授けた時にも、懇切と助命を訴えて未だに自害していないなど厚顔無恥にもほどがある。王公大臣からも絞監候と判断されたが、朕が9人の王公大臣に再審させた所結果は同じ、更に刑部での判断も絞監候ならば覆しようがない。オシャンだけが重罪ではないと思っていたのなら、はなはだ不敬である。しかし、オシャンが公開処刑されるのは忍びないので、オシャンを自宅に帰らせてから自盡させた。云々。
 庇いきれないと諦めたんでしょうけど、事細かい忖度要請を突っぱねた刑部の人たち偉いっすね。

長春宮扁額 2008/11/23撮影

 これで、オシャンの件は決着がつきましたが、ご覧の通りオルタイ張廷玉も審理側の大臣であって、オシャン収賄事件からは彼ら二人の党争という感じはしません。しかし、乾隆帝自身うさんくさいと思っていた仲永檀の弾劾ですが、翌年暮れにまた事件が発覚します。

(乾隆7年12月)丙申(12日)。(中略)又諭、仲永檀密奏留中之摺。鄂容安如何問及。仲永檀如何告知。臣工密奏之事。豈容如此宣洩。仲永檀鄂容安、俱革職。拏交慎刑司。著莊親王履親王和親王平郡王、大學士張廷玉徐本、尚書訥親來保哈達哈、審明具奏。xi

 と言うわけで、翌乾隆7年12月12日、仲永檀の密奏の内容をオヨンゴ(鄂容安 Oyonggo)が知っていたことが問題視されて双方革職されています。莊親王允禄履親王允祹和親王弘晝平郡王xii福彭と大学士・張廷玉徐本、尚書ネチンライブーハダハ(哈達哈 hadaha)らが審理に当たり奏上しています。
 前年のオシャン審理以上になかなか錚錚たるメンバーが審理を担当しているあたり乾隆帝の関心の高さがうかがえますね。

乾隆七年。壬戌。十二月。辛丑(16日)。(中略)諭大學士等。朕細閱鄂容安仲永檀、供詞。伊等往來親密。於未奏以前。先行商謀、既奏以後。復行照會。二人俱已供出。明係結黨營私。糾參不睦之人。爾等祗擬以洩漏機密事務之律。不合。著會同三法司。另行嚴審定擬具奏。xiii

 4日後の16日、乾隆帝は審理を要請した大学士達に、オヨンゴ仲永檀は、彼らは日頃から親密に往来しており、密奏を奏上する前に内容を協議したり、奏上した後も内容を確認したりしていることを倶に認めた。明らかに私党を結託していたのだ。この機密漏洩は厳しく捜査して奏上するように…と、指示しています。
 まぁ、前回のオシャンの時にスルーされてしまった、密奏の内容が漏洩している件に、どうやらオルタイの長子であるオヨンゴが関係していたことを掴んで再燃したってことですかね。臣下が結託して党派を作るのは中国歴代王朝では罪に問われる行為です。官僚はただ皇帝の利益にのみ従事すべきなので、党利党益を優先する朋党は私欲を優先すると見なされるわけです。

(乾隆7年12月)癸卯(18日)。諭曰。王大臣等審訊仲永檀鄂容安、一案。今日奏請刑訊仲永檀鄂容安、並將大學士鄂爾泰、革職拏問。此奏又屬錯誤。此奏前經王大臣會審時。仲永檀鄂容安、已將平日往來親密。並將具奏事件前後商量情節。一一供出。夫以仲永檀如此不端之人。而鄂爾泰於朕前屢奏其端正直率。則其黨庇之處。已屬顯然。久在朕洞悉之中。若欲將伊革職拏問。則已於前日降旨。何待爾等今日之奏請。蓋以鄂爾泰乃皇考遺留之大臣。於政務尚爲諳練。朕不忍以此事深究。若以此事深究。不但罪名重大。鄂爾泰承受不起。而國家少一能辦事之大臣爲可惜耳。但其不能擇門生之賢否。而奏薦不實。不能訓伊子以謹飭。而葛藤未斷之處。朕亦不能爲之屢寬也。鄂爾泰著交部議處。以示薄罰。朕辦理此事。皇考在天之靈。自能洞鑒。鄂爾泰嗣後當洗心滌慮。痛改前愆。以副朕恩。倘仍前不檢。鄂爾泰自思之。朕從前能用汝。今日能寬汝。將來獨不能重治汝之罪乎。至爾等奏請將仲永檀鄂容安、加以刑訊。伊等俱曾爲三品大臣。又豈可似盜賊罪犯。重加三木。則不過套夾一訊。爲汝等斷案張本。又何必多此一番奏請乎。况此事情跡已明。無庸刑訊。仲永檀受朕深恩由御史特授副都御史。乃依附師門。將密奏密參之事。無不豫先商酌。暗結黨援。排擠不睦之人。情罪甚屬重大。鄂容安在內廷行走。且係大學士之子。理應小心供職。閉戶讀書。乃向言官商量密奏之事。情罪亦無可逭。但較之仲永檀、尚應末減。爾等可定擬具奏。xiv

 その2日後の18日、審理に従事していた王大臣に乾隆帝が審理内容を語っています。仲永檀オヨンゴ、並びに大学士オルタイは革職する。日頃から彼らは親密に往来しており、この事件の前後の事情は一々供出させているが、仲永檀はただの下っ端の役人ではなく、オルタイ乾隆帝の面前で釈明したところでは、オルタイの党派の一員であることは明らかである。オルタイは前帝遺留の大臣で、政務にも熟達している。この事件を究明することは乾隆帝自身も忍びないが重罪である。オルタイが我が子をキチンと指導せず、オヨンゴも心を改めないのであれば、乾隆帝も寛容にはできない。しかし、行いを改めるのなら、オルタイは従前のように要職に就かせよう。仲永檀オヨンゴについても事情が明らかになったので、これ以上罪を問うことはない。ただし、仲永檀乾隆帝の抜擢を受けて副都御史の出世しながら師匠(オルタイ)の派閥に与して密奏の内容を漏洩させたことには叙情酌量の余地はない。密かに派閥を形成して無実の人を排除するとは重罪である。オヨンゴ内廷走行の地位にあり、かつ大学士(オルタイ)の子息である。コソコソと言官(仲永檀)の密奏について共謀するなど罪は逃れ得ない。しかし、比較してみれば仲永檀の方が減刑の余地はあるので協議せよ。
 と言うことで、仲永檀の弾劾よりむしろオルタイへの訓戒がメインになってますね。重罪だ!と言いながらあまり重刑を適用するなよ?空気読めよ?という雰囲気が醸し出されています。

(乾隆8年1月)丁巳(2日)。(中略)又諭。仲永檀漏洩密奏一案。由於仲永檀趨附鄂容安。而鄂容安因向伊詢問。原屬多事。理應懲治。但鄂容安從前在阿哥書房行走尚好。且伊父大學士鄂爾泰。年老有疾。鄂容安從寬免發臺站。仍在阿哥書房行走。嗣後當閉戶讀書。不預外事。倘因現經革職。在書房行走。不似從前盡心。朕必重治其罪。大學士鄂爾泰當嚴切教訓之。xv

 で、翌乾隆8年の新年早々この件が審理されて、オヨンゴが以前勤めた阿哥書房行走での仕事ぶりが評価され、かつオルタイが高齢で病気がちであったので、罪を免じて上書房行走に任命されています。この事を以てオルタイの教訓としたとしています。
 まぁ、オヨンゴはこの後も順調に出世するのであまり影響ないみたいですが…。

(乾隆8年2月)甲午(10日)。吏部議處大學士鄂爾泰、將行止不端之已革副都御史仲永檀、濫行奏薦。於伊子已革詹事鄂容安不能嚴加管束。致向仲永檀商量密奏之事。應照例降調。得旨。鄂爾泰所有加級紀錄。俱著銷去。抵降二級。從寬留任。xvi

 更にその8日後、改めて仲永檀は前例に照らし合わせて降格する旨審議の結果は出ているんですが、どうやら審議の最中に獄中死してるようなんですよねxvii

 こちらの件ではオルタイと息子のオヨンゴは関係者として革職までされていますが、張廷玉は全く出てこないので、やっぱりオシャン収賄事件が権力闘争の道具として利用された…って辺りはドラマの創作ですかねぇ…。
 まぁ、乾隆6年当時の事件を掻い摘まんでよくドラマに落とすなぁ…と感心します。まぁ翌年の件と合わせれば党争の余波とも取れなくはないにしても、貴妃高氏はかすりもしてませんから、よくこんなとこから取ってくるなと言うのが素直な感想ですね。

参考サイト
明實錄、朝鮮王朝實錄、清實錄資料庫合作建置計畫
人名權威資料庫

追記:ご指摘あったところを直しました(2020/05/13)。
抜けてるところが重要とのことで付け足しました(2020/05/14)。

※間違えたまま放っておくと自分がかっこ悪いので、気がついた所はできるだけ突っ込みをいただけると幸いです。

  1. ドラマの字幕では”オサン”。ただし、発音はオシャン。人名權威資料庫によるとOšan。 [戻る]
  2. 《高宗實録》巻139 [戻る]
  3. https://twitter.com/Historian_nomad/status/1260181530896248835?s=20 [戻る]
  4. 乾隆6年当時吏部尚書 [戻る]
  5. 乾隆6年当時刑部尚書 [戻る]
  6. 《高宗實録》巻139 [戻る]
  7. 乾隆6年当時吏部尚書? [戻る]
  8. 乾隆6年当時禮部尚書 [戻る]
  9. 《高宗實録》巻139 [戻る]
  10. 《高宗實録》巻140 [戻る]
  11. 《高宗實録》巻180 [戻る]
  12. 克勤郡王家嫡流 [戻る]
  13. 《高宗實録》巻181 [戻る]
  14. 《高宗實録》巻181 [戻る]
  15. 《高宗實録》巻182 [戻る]
  16. 《高宗實録》巻184 [戻る]
  17. 命定擬具奏,奏未上,永檀卒於獄。⇒《清史稿》巻306 列傳93 仲永檀 [戻る]

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