黄馬掛その2

 先日、珍しく過去に書いた記事黄馬掛にコメントをいただきました。

馬掛けの下の着ている裾の長い衣服は片方に継ぎ目がある使用なのでしょうか??

 うん?継ぎ目?なんだろそれ…とコメントだけ読んでも全く理解出来ませんで、とりあえず当該記事の当該画像を確認して見ました。
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康煕帝諸皇子の王府3

 と、前回の続きで康煕帝皇子達の王府の位置を再度調べて見ました。
 本文に入る前に、以前に作った地図を《清北京歴史地図iで不明確だった王府の位置を特定したり、後で入手した資料で補強した地図を提示しておきます。


より大きな地図で 康煕帝阿哥府邸地図 を表示

 思ったほど偏ってはいないんですが、何故か西南隅には王府がなかったみたいなんですよねぇ…。折角地図にしたのでちょっと八旗の居住地と王府の位置関係も確認して見たのですが今ひとつよく分かりませんでした。あと、平西府密雲県博物館もチェックしてます。
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  1. 《清北京歴史地図》北京燕山出版社 ちなみに《乾隆京城全図》を複数の版本を比較して校訂した《加摹乾隆京城全図》を出版したのもこの会社。 [戻る]

康煕帝諸皇子の王府2

  ……とまぁ、前回の記事で書いたように、雍正年間に消えてしまった王府については調べようがないんだろうなぁ…等と考えていたわけですが、ふと思い立って”廉親王府”と言うキーワードで検索してみたところ…意外にも引っかかりましたね…。しかも、直郡王府固山貝子允禟府敦郡王府のことも記載があります。

穿越步步驚心 踏尋阿哥們住的地方(組圖)
穿越步步驚心 踏尋阿哥們住的地方(組圖)

 この記事も《歩歩驚心》の放送当時に書かれた記事みたいなので、おおよそ皆考えることは一緒みたいですね。…書いてあることは興味深いのですが、ビジュアル的には今ひとつ正しいかどうか判断出来ません。というか、九阿哥府邸のこのハイカラな建物は一体?なんでまた、《乾隆京城全図》の和親王府が赤線で引かれてるの?とか、よく分かりません。
 で、その後この頁の元頁と思われるところも検索して発見…。よく分からない写真はどうやら、上のサイトで勝手につけたモノみたいですが、廉親王府九貝子府(九阿哥府邸)は元からついてたみたいですねぇ…。

穿越大清步步驚心 踏尋阿哥們住過的地方
踏尋阿哥們住過的地方 廉親王府
踏尋阿哥們住過的地方 怡親王府
踏尋阿哥們住過的地方 恂郡王府
踏尋阿哥們住過的地方 理親王府
踏尋阿哥們住過的地方 九貝子府
踏尋阿哥們住過的地方 敦郡王府i

で、あまり出典には触れてないわけですが、九貝子府の所に

據《京城坊巷志稿》卷上116頁轉引自《嘯亭雜錄》記述:“恭親王府、貝子胤禟府,俱在鐵獅子衚同。”

 という出典が分かる場所があります。理親王府の所でも《京師坊巷志稿》と言う書名が出てきますね。…と言うワケで、今回は基本的に《京城坊巷志稿》に引用された《嘯亭雜錄》の記事の整理です。
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  1.  で、他にもまとめられた記事もあったんで一応上げておきます。上の記事とほぼ一緒だけど細かく違うのでこれまた厄介ですが一応上げて置きます。
    大阿哥胤褆与直郡王府
    四阿哥胤禛与雍亲王府
    八阿哥胤禩(sì)与廉亲王府
    九阿哥胤禟与九贝子府
    十阿哥胤礻我(é)与敦郡王府
    十三阿哥胤祥与怡亲王府
    十四阿哥胤禵与恂郡王府 [戻る]

康煕帝諸皇子の王府

 と言うワケで、前回のエントリ・康煕帝の諸皇子に続いて康煕帝の諸皇子のネタです。北京の観光名所・雍和宮雍正帝が即位前に雍王府として使用されていた王府だと言うコトは自分も知っていたのですが…さて、他の王府って今どうなっているんだろう?っていう事に興味が出たので、ツラツラ《北京古建築地図 上》を見ながらチェックしました。で、更に《乾隆京城全図iの目録を元にGoogleEarth版で確認を取りました。おおよそココかなぁ…って言う場所を比定したところもあります。ただ、他に確認しようもないので自信ないですねえ…。乾隆年間北京に対してはいつもは力強い《日下旧聞考》も王府については書かれてません。雍正帝潜龍邸であった雍和宮についても記述がありませんしねぇ。《乾隆京城全図》は乾隆15(1750)年ごろに成立したと言われていますので、この頃の事情を反映した内容になってます。なので、この年に没した輔国公弘曣の府邸も書き込まれてるわけです。
 さて、ザッと目を通してGoogleMapに康煕年間に封爵された皇子雍正年間に封爵された皇子を色で分けて各々の王府府邸の場所を比定して目印をつけてみました。案外、バラけてないですし八旗の管轄と王府の位置にも関連性は無いように見えますし、場所によっては王府が隣り合わせだったりしますね。しかし、《乾隆京城全図》で改めて見ると、王府ってかなりデカイですねぇ…。ちなみに、康煕帝皇子の府邸にはアルファベットを振ってます。その子供達に関しては点だけです。目抜き通りに作られた怡賢親王祠は白抜きにしてあります。
 ちなみに清代の制度では、爵位は特に何も功績がなければ一世代ごとに一段階下がります。なので、親王の子供は郡王ベイレベイセ鎮国公⇒輔国公と等級が下がっていきます。これに対して、入関当初武功が高かった鉄帽子八王家は爵位が下がらず世襲します。ちなみに怡親王家雍正帝によって九番目の世襲親王家とされています。
 あと、皇子達の爵位や後継者については《清史稿巻一六五 表五 皇子世表五 世宗系を見るとすこぶるわかりやすいです。


より大きな地図で 康煕帝諸皇子の王府 を表示

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  1. 国立情報学研究所 – ディジタル・シルクロード・プロジェクト 『東洋文庫所蔵』貴重書デジタルアーカイブ 乾隆京城全図 [戻る]

黄馬掛

 と言うワケで辮髪画像が整理つかなくなってきたので、その過程で見つけた…というか今まで気がつかなかっただけなんですが、黄馬掛の画像を見つけたので、お茶濁すべくアップ。
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