……とまぁ、前回の記事で書いたように、雍正年間に消えてしまった王府については調べようがないんだろうなぁ…等と考えていたわけですが、ふと思い立って”廉親王府”と言うキーワードで検索してみたところ…意外にも引っかかりましたね…。しかも、直郡王府、固山貝子允禟府、敦郡王府のことも記載があります。
穿越步步驚心 踏尋阿哥們住的地方(組圖)
穿越步步驚心 踏尋阿哥們住的地方(組圖)
この記事も《歩歩驚心》の放送当時に書かれた記事みたいなので、おおよそ皆考えることは一緒みたいですね。…書いてあることは興味深いのですが、ビジュアル的には今ひとつ正しいかどうか判断出来ません。というか、九阿哥府邸のこのハイカラな建物は一体?なんでまた、《乾隆京城全図》の和親王府が赤線で引かれてるの?とか、よく分かりません。
で、その後この頁の元頁と思われるところも検索して発見…。よく分からない写真はどうやら、上のサイトで勝手につけたモノみたいですが、廉親王府と九貝子府(九阿哥府邸)は元からついてたみたいですねぇ…。
穿越大清步步驚心 踏尋阿哥們住過的地方
踏尋阿哥們住過的地方 廉親王府
踏尋阿哥們住過的地方 怡親王府
踏尋阿哥們住過的地方 恂郡王府
踏尋阿哥們住過的地方 理親王府
踏尋阿哥們住過的地方 九貝子府
踏尋阿哥們住過的地方 敦郡王府
で、あまり出典には触れてないわけですが、九貝子府の所に
據《京城坊巷志稿》卷上116頁轉引自《嘯亭雜錄》記述:“恭親王府、貝子胤禟府,俱在鐵獅子衚同。”
という出典が分かる場所があります。理親王府の所でも《京師坊巷志稿》と言う書名が出てきますね。…と言うワケで、今回は基本的に《京城坊巷志稿》に引用された《嘯亭雜錄》の記事の整理です。
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