天聰5年の六部人事(2016/07/10追記)

※と言うわけで、コメントでご指摘頂いたローマ字表記を『内国史院档 天聰5年』2巻=『天聰五年檔』を元に直しました。かなり訂正がありましたね…。中には『帝国を創った言語政策』の表記を取った箇所もあります。六部の名称も同書の表記に沿うことにしました。あと、各民族名称も『天聰五年檔』に準じた形の名称を併記しておきました。
 庄声センセの『帝国を創った言語政策』のおもしろさを伝えようとして中々できていないのですが、とりあえず、清代の六部に関する表をば…。基本的には『帝国を創った言語政策』のP.85にある表3-1 天聰五年の六部を元に作表しました。六部のマンジュ名称はWikipediaにある清代の官職の項が参考になりました。


 ちなみに、人名の前の数字は定員です。人名が判明していないけど他にこれだけの人が居た可能性がある…と言うような感じですね…。定員見ただけでもマンジュが優遇されていたことは分かります。マンジュの承政については所属旗が『大清帝国の形成と八旗制』P.89の表1-4 入関前六部ベイレ・満承政一覧にあります。あと、『清初皇帝政治の研究』P.28にマンジュの六部啓心郎の所属旗についての記述があります。漢人については『清初軍事論考』に収録されている「漢軍八旗の成立」と「清初の漢人の総兵官について─八旗と緑旗の相違点─」と言う論文と『大清帝国の形成と八旗制』から拾いました。最後は『八旗通志列傳索引』も使いましたが案外立伝されてる人少なそうですね…。

Ninggun Jargan/
六部
 管理部務
Beile 貝勒/Taiji 台吉
Aliha Amban/
承政
Ashan i Amban/
参政
Mujilen Bahabuko/
啓心郎
Bithesi/
筆帖式
Lii bu/Hafan i hartuJušen/滿洲Hošoi Beile Mergen Daicing(鑲白旗)/和碩貝勒墨爾根戴青2:Turgeii(鑲白旗)、Baintu(正黄旗)8:Hūntaii、Kūbaiiii、Haksaha、Yambulu、Gishaiv、Jumara、Ardaiv、Keifu2:Sonin(正黄旗)、Nanggituvi8:Sonin(正黄旗)、Nanggituvii
Monggo/蒙古1:Manjusiriviii4:Esei、Nanai、Dalai、Momunix
吏部Nikan/漢1:李延庚(正藍旗?)x2:楊興国xi、「欠」2:Be Ing Pin、呉景道(正黄旗)2:Be Ing pin、呉景道(正黄旗)
Hū bu/Boigon i hartuJušen/滿洲Degelei Taiji(正藍旗)/徳格類台吉2:Inggūldaixii(鑲白旗)、Sabigan(正藍旗)8:Sirana、Yarnaxiii、Mafuta、Gūrixiv、Dayangga、Afuni、Lolo、Jaisa2:Budan(鑲白旗)、Badurixv16:Budan(鑲白旗)、Baturi
Monggo/蒙古2:Obondoixvi4:Baisanggūxvii、Badanaxviii、Kangkal、Kenjexix
戸部Nikan/漢1:佟三xx(正藍旗)xxi2:呉守進xxii(正紅旗)、Joo Tang Ingxxiii2:Jin Ju、朱国柱xxiv2:Jin Ju、朱国柱
Li bu/Dorolon i HartuJušen/滿洲Sahaliyen Taiji(正紅旗)/薩哈璘台吉2:Badurixxv(正白旗)、Gisun (鑲黄旗)8:Mandarhan、Asan、Tungsanxxvi、Muhuxxvii、Jucikexxviii、Nikan、Tarhūxxix、Lama2:Kicungge(正白旗)、Dumbai8:Kicungge(正白旗)、Dumbai
Monggo/蒙古1:Buyandaixxx4:Sunggaixxxi、Siran、Harsungga、Unahandaixxxii
礼部Nikan/漢1:金玉和(正黄旗)2:祖思成xxxiii、李思忠(正黄旗) xxxiv2:斉国儒、U Yan Suxxxv2:斉国儒、U Yan Suxxxvi
Bing bu/Coohai hartuJušen/滿洲Hošoi Beile Yoto(鑲紅旗)/和碩貝勒岳託2:Namtai(正黄旗)、Yek šuxxxvii (正紅旗)8:Oobaxxxviii、Yabuhaixxxix、Sitangga、Tumenxl、Ubahai、Šanukaxli、Dadaixlii、Yasita2:Mucenggexliii(所属旗不明)、Buran16:Mucenggexliv(所属旗不明)、Buran
Monggo/蒙古1:Suna Efu4:Handuxlv、Toktohoixlvi、Enggetuxlvii、Manggulxlviii
兵部Nikan/漢1:石廷柱(鑲白旗)xlix2:Ling Sioo Wenl、G'o Yung Mooli2:丁文盛、趙福星2:丁文盛、趙福星
Sing bu/Beidere hartuJušen/滿洲Hošoi Beile Jirgalang(鑲藍旗)/和碩貝勒濟爾哈朗2:Soohai(鑲黄旗)、Caharalii(正紅旗)8:Langkioliii、Bušai、Cooharliv、Olosecen、Daisunggalv、Barhoilvi、Loki、Bakiran2:Erketulvii(鑲黄旗)、Badunlviii8:Erketulix(鑲黄旗)、Badunlx
Monggo/蒙古1:Dorji Efu4:Baihūlailxi、Buršanlxii、Usantai、Serenglxiii
刑部Nikan/漢1:高鴻中2:楊文明lxiv、金海色lxv2:王廷選lxvi、Sin Coo jilxvii2::王廷選lxviii、Sin Coo jilxix
gung bu/Weilere hartuJušen/滿洲Abtai Taiji(鑲黄旗)/阿巴泰台吉2:Munggatulxx(正白旗)、Kangkalai(鑲藍旗)8:Basan、Lenggerilxxi、Emungge、Omšokolxxii、Siltu、Hūngniyakalxxiii、Fuhanalxxiv、Moodaselxxv2:Miosihonlxxvi(鑲白旗)、Cabuhai8:Miosihonlxxvii(鑲白旗)、Cabuhai
Monggo/蒙古1:Nangnuklxxviii4:Menggeilxxix、Toktoilxxx、Donggorlxxxi、Momtulxxxii
工部Nikan/漢1:石国柱(鑲白旗?)lxxxiii2:佟国印(正藍旗)、馬元龍lxxxiv2:羅繍錦(鑲紅旗)、馬鳴佩lxxxv(鑲紅旗)2:羅繍錦(鑲紅旗)、馬鳴佩lxxxvi(鑲紅旗)

 ちなみに、六部が設立される前には両院=Bithei Jurgan/文院とCoohai Jurgan/武院があったようですが、すでに内政が複雑化していたアイシン・グルン国内で機能不全に陥っていたようですlxxxvii。官員の配置・定数や官員の名称を見ても、明代の六部との共通性はむしろ少なく、ホンタイジのブレーンたちが創出したマンジュというかアイシン・グルン独自の制度を明代の制度に当てはめた…という感じはしますね。マンジュの参政・啓心郎やモンゴルは力尽きてしまったので今回はスルーの方向で…。

参考文献:
庄声『帝国を創った言語政策 ─ダイチン・グルン初期の言語生活と文化─』京都大学学術出版会
東洋文庫清朝満洲語档案史料の総合的研究チーム『内国史院档:天聡5年 2』東洋文庫
片岡一忠『中国官印制度研究』東方書店
杉山清彦『大清帝国の形成と八旗制』名古屋大学出版会
磯部淳史『清初皇帝政治の研究』風間書房
阿南惟敬『清初軍事史論考』甲陽書房
東洋文庫滿文老檔研究會『八旗通志列傳索引』東洋文庫滿文老檔研究會
谷井陽子『八旗制度の研究』京都大学学術出版会
Wikipedia 清代の官職

  1. 『帝国を創った言語政策』ではDorgei [戻る]
  2. 『帝国を創った言語政策』ではHontu [戻る]
  3. 『帝国を創った言語政策』ではHobai [戻る]
  4. 『帝国を創った言語政策』ではKiska [戻る]
  5. 『帝国を創った言語政策』ではArtai [戻る]
  6. 『帝国を創った言語政策』ではNanggetu [戻る]
  7. 『帝国を創った言語政策』ではNanggetu [戻る]
  8. 『帝国を創った言語政策』ではManjusiyeri [戻る]
  9. 『帝国を創った言語政策』ではNomun [戻る]
  10. 李永芳長子・Yangga。 [戻る]
  11. 『帝国を創った言語政策』ではYang Sing kūwe [戻る]
  12. 『帝国を創った言語政策』ではInggoltai [戻る]
  13. 『帝国を創った言語政策』ではYarana [戻る]
  14. 『帝国を創った言語政策』ではKūri [戻る]
  15. 『帝国を創った言語政策』ではBaturi [戻る]
  16. 『帝国を創った言語政策』ではObontoi [戻る]
  17. 『帝国を創った言語政策』ではBaisangko [戻る]
  18. 『帝国を創った言語政策』ではBandana [戻る]
  19. 『帝国を創った言語政策』ではHenje [戻る]
  20. 『 天聰五年檔』ではTungsan [戻る]
  21. 撫順佟氏 [戻る]
  22. 『天聰五年檔』では武守進 [戻る]
  23. 『帝国を創った言語政策』ではJoo Teng ing [戻る]
  24. 『天聰五年檔』ではJugu Ju [戻る]
  25. 『帝国を創った言語政策』ではBaturi [戻る]
  26. 『帝国を創った言語政策』ではTongsan [戻る]
  27. 『帝国を創った言語政策』ではMūku [戻る]
  28. 『帝国を創った言語政策』ではJūjike [戻る]
  29. 『帝国を創った言語政策』ではTarko [戻る]
  30. 『帝国を創った言語政策』ではBuyantai [戻る]
  31. 『帝国を創った言語政策』ではSongkai [戻る]
  32. 『帝国を創った言語政策』ではU Nagantai [戻る]
  33. 『天聰五年檔』ではTs'o Si Cang [戻る]
  34. 李成梁らの鉄嶺李氏 [戻る]
  35. 『帝国を創った言語政策』ではŪ Yan sū [戻る]
  36. 『帝国を創った言語政策』ではŪ Yan sū [戻る]
  37. 『帝国を創った言語政策』ではJeksio [戻る]
  38. 『帝国を創った言語政策』ではOota [戻る]
  39. 『帝国を創った言語政策』ではYabukai [戻る]
  40. 『帝国を創った言語政策』ではTūmen [戻る]
  41. 『帝国を創った言語政策』ではSanuha [戻る]
  42. 『帝国を創った言語政策』ではTatai [戻る]
  43. 『帝国を創った言語政策』ではMūcengge [戻る]
  44. 『帝国を創った言語政策』ではMūcengge [戻る]
  45. 『帝国を創った言語政策』ではKaktu [戻る]
  46. 『帝国を創った言語政策』ではToktokoi [戻る]
  47. 『帝国を創った言語政策』ではAnggetu [戻る]
  48. 『帝国を創った言語政策』ではMangol [戻る]
  49. 石国柱弟。 [戻る]
  50. 『帝国を創った言語政策』ではLing Sino wen [戻る]
  51. 『帝国を創った言語政策』ではG'u Yang Moo [戻る]
  52. 『帝国を創った言語政策』ではCakara [戻る]
  53. 『帝国を創った言語政策』ではLanbkio [戻る]
  54. 『帝国を創った言語政策』ではCookar [戻る]
  55. 『帝国を創った言語政策』ではTaisungga [戻る]
  56. 『帝国を創った言語政策』ではBurkoi [戻る]
  57. 『帝国を創った言語政策』ではErgetu [戻る]
  58. 『帝国を創った言語政策』ではBabum [戻る]
  59. 『帝国を創った言語政策』ではErgetu [戻る]
  60. 『帝国を創った言語政策』ではBabum [戻る]
  61. 『帝国を創った言語政策』ではBaikolai [戻る]
  62. 『帝国を創った言語政策』ではBursan [戻る]
  63. 『帝国を創った言語政策』ではSarang [戻る]
  64. 『帝国を創った言語政策』ではYang Wen pong [戻る]
  65. 『帝国を創った言語政策』ではJin Haisa [戻る]
  66. 『天聰五年檔』ではWang Ting Siowan [戻る]
  67. 『帝国を創った言語政策』ではSin Joo ji [戻る]
  68. 『天聰五年檔』ではWang Ting Siowan [戻る]
  69. 『帝国を創った言語政策』ではSin Joo ji [戻る]
  70. 『帝国を創った言語政策』ではMonggatu [戻る]
  71. 『帝国を創った言語政策』ではLanggeri [戻る]
  72. 『帝国を創った言語政策』ではOmsoko [戻る]
  73. 『帝国を創った言語政策』ではKongniyakan [戻る]
  74. 『帝国を創った言語政策』ではFukana [戻る]
  75. 『帝国を創った言語政策』ではMootasa [戻る]
  76. 『帝国を創った言語政策』ではMiosikon [戻る]
  77. 『帝国を創った言語政策』ではMiosikon [戻る]
  78. 『帝国を創った言語政策』ではNangos [戻る]
  79. 『帝国を創った言語政策』ではManggei [戻る]
  80. 『帝国を創った言語政策』ではTuktui [戻る]
  81. 『帝国を創った言語政策』ではTunggor [戻る]
  82. 『帝国を創った言語政策』では Nomtu [戻る]
  83. 石廷柱兄。 [戻る]
  84. 『帝国を創った言語政策』では馬遠隆 [戻る]
  85. 『天聰五年檔』では馬鳴珮 [戻る]
  86. 『天聰五年檔』では馬鳴珮 [戻る]
  87. 『帝国を創った言語政策』P.84 [戻る]

6 comments

  • 蒙古旗人

    表中の人名(ラテン文字)は『帝国を創った言語政策』の表に依拠されたものですか?
    本書を見ていないので確認できないのですが,ラテン文字に誤りが散見されます。

    • ■蒙古旗人 様
      語頭を大文字にした以外は『帝国を創った言語政策』の本文ママです。トゥルゲイと思われる人物がドルゲイみたいになっていて違和感を覚えていたので、また近いうちに確認してみようとは思ってました。無圏点文字で書かれてたのかしらとか考えてたんですが、そういう話ですは無いんですね…

  • 蒙古旗人

    『帝国を創った言語政策』を入手し,確認致しました。当該表は『天聰五年檔』7月8日条に基づいたとのことで,同日条を確認しました。ご指摘のとおり無圏点檔案なのですが,恣意的な転写をして良いとは思いません。a/e,o/u,k/g/hあたりが交替し,ありえない人名となっています。
    庄声先生は確かに歴史学者ではありませんが,学術書であれば他の史料と突き合わせて比定し,人名を正しいかたちで転写,あるいは校訂し誤りを正すべきかと思います。
    また庄声先生のカタカナ転字も独特ですよね…。面白い研究をされているだけに非常に惜しいです。
    なお,同日条には吏部をlii buと書き,直後に割注でhafan i har(a)tu(直訳:官吏の部下の人)とあります(史料からはhartuとしか読めませんが,aを補わないと意味が通りません)。同様に戸部はhū bu・boigon i har(a)tu,礼部はli bu・dorolon i har(a)tu,兵部はbing bu・coohai har(a)tu,刑部はsing bu・beidere har(a)tu,工部はgūng bu・weilere har(a)tuとあり,その後で「ere jurgan de(この部に)」と続いて人名が羅列されます。
    ちなみに刑部蒙古承政はdorji efuですのでご注意。

    • ■蒙古旗人 樣
      ご指摘ありがとうございます。自分も違和感感じながら、参考文献に書かれているとおりに写したんですが、やはり意味が通じない綴りなんですね…。手元に天聰五年檔がないので、図書館に行く機会捕まえて東洋文庫の『内国史院檔 天聰五年』で確認してみます。

      >庄声先生のカタカナ転字
      他の方と雰囲気の違うカナ転写される方だなとは思っていましたが、やはりそうですよね。自分も読書中、一瞬誰のことか分からない部分があって読んでいて止まる事がありました。

      >吏部をlii bu
       ご指摘ありがとうございます。この辺やはりせめて檔案の訳文に当たらないといけませんね。どうも、天聰五年に設立された六部は、名称が明の行政機関と同じというだけで中身は違ったのではないか?という主張に引きずられてしまって、名称もマンジュ語であったのではないか…と思っていたんですが、そのままではないにしても模倣はしてますから、名称もまず漢語借用してそれをマンジュ語に訳して…という段階があるというのをスパッと見落としていました。興味深いです。

      >刑部蒙古承政はdorji efu
       蒙古承政なんて他の史料で見たことない!と、飛びついたんですが精査しないとだめですね…。これも、『内国史院檔 天聰五年』で確認して見ます。

       荘声センセの本は他の研究者とは違う視点からの話が多くて面白かったんですが、このあたり注意が必要なんですね…。
       重ねてご指摘ありがとうございました。勉強になります。

      • 蒙古旗人

        >蒙古承政なんて他の史料で見たことない!

        言葉足らずですみません。お伝えしたかったのは,「dorgi」(満洲語で「内の」)とされているのは誤りで正しくは「dorji」(モンゴルによく見られる人名,元はチベット語rdo rje「金剛,稲妻」),ということです。庄声先生の著書でも「dorji efu」とあり,これは正しいものでした。揚げ足取りになってしまい恐縮ですが,指摘させて頂きました。
        「蒙古承政」という言葉は存在します。たとえば漢文版『太宗実録』の同日条をご覧ください。初纂満文版ではmonggo aliha ambanです。「当該部のモンゴルに割り当てた承政のポスト」くらいの意味です。同じように「蒙古参政」という言葉も存在します。
        全ての人名を実録他に拠って正すのは骨が折れますが,さしあたり各部の蒙古承政について正しい綴りをお伝え致しますと,吏部はmanjusiri(『五年檔』では確かにmanjusiyeriと読みうる綴りではありますが母音調和に反する転写です),戸部はobondoi,礼部はbuyandai,工部はnangnuk(『五年檔』でもnangosとは読めないので庄声先生のミスかと思われます)です。
        なお初纂満文版ではlii buといった漢語音訳表記はなくhafan i jurganとなっていました。また『五年檔』で戸部蒙古承政として挙がっているobondoiの名は実録初纂にはなく,代わりにbashan(バスハン)が挙がっています。
        たびたび失礼しました。

        • ■蒙古旗人 様
          >dorgi
           すみません。確認が足りませんでした。訂正させて頂きました。ありがとうございます。

          >揚げ足取りになってしまい
           完璧に見落としてました。以前ご指摘頂いた清朝年号のモンゴル語に振ったカナが、間違ったままWikipediaに引用されてしまったらしく非常にバツの悪い思いをしたので、勘違いや間違いはご指摘頂けるととてもありがたいです。

          >蒙古承政なんて他の史料で見たことない!
           これは自分が説明不足でした。知識としては六部承政には満漢蒙の三種があることは知っていたのですが、漢承政、蒙古承政については具体的な人名が上がってるのを見たことがなかったので浮き足立ってしまいました。

          >全ての人名を実録他に拠って正すのは骨が折れます
           所属旗調べるのも骨が折れましたが、実録その他から拾うのは骨折れますよねぇ。ご指摘感謝です。マンジュ承政の綴り含めて天聰五年檔を確認して訂正させて頂きます。ありがとうございます。

          >初纂満文版
           天聰五年檔と内容が違うのはこの場合どう考えるべきなんでしょうねぇ…。六部のマンジュ名称にせよ承政の人員にしろどういう混乱があったものか…。調べたいことが山積みになってきました。

           重ね重ね貴重なご指摘ありがとうございました。

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