アキナとサスヘ;追記1

 と言うワケで、前回ネタにしたアキナサスヘですが、ネットを検索し続けてたら、わりと色々あったのでお蔵出しをば。

雍正上台后把「八阿哥、九阿哥」改名为「阿其那、塞斯黑」,这两个名字是什么意思?

 これは、どうやら中国版の知恵袋とか小町みたいなページですかね。マンジュ熱が凄く熱い人の回答が常軌を逸していて勉強になります。内容については多分下に挙げてる様な論文がソースと言うコトになるかと思います。独自に辞書や上奏文などから画像も貼り付けていますし、読み応え有りますね。


 で、まずはマンジュ語の語彙に関してはこの論文が元になっているようです。もっとも、この論文の通りには上げていませんけど…。

沈原〈“阿其那”、“塞思黑”考释〉《清史研究》1997, 0(1): 90-96

各種犬のマンジュ語一覧
indahūn 狗⇒犬
ajirhan 牙狗⇒雄犬
enihen 母狗⇒雌犬
taiha 长毛细狗⇒犬の一種。耳と尾とに長毛が密集したもの。
yolo 藏獒⇒犬の一種。口と尾とは太く、唇が垂れ下がり、耳の大きいもの。チベット犬。
beserei 二姓子狗⇒taihaと普通の犬との混血種。
kabari 哈巴狗⇒犬の一種。脚短く身は小さい。
niyahan 狗崽⇒犬の子。子狗。
nuhere 小狗⇒7~8ヶ月くらいの仔犬。
cikiri 玉眼狗⇒眼珠白藍色の犬i
durbe 四眼狗⇒両眼の上に黄白色の毛片のある犬ii
cakū 白脖子狗⇒頸の白い犬。
balta 花鼻梁子狗⇒口と鼻に花紋がある犬。
kuri 黎狗⇒虎の如き斑紋のある犬iii

各種豚のマンジュ語一覧
ulgiyan 猪⇒豚
taman 稽儿⇒去勢した雄豚
mehe 豚儿⇒去勢した雌豚
yelu 大公猪⇒大きな雄豚 跑猪
buldu 小牙猪⇒小さな雄豚
mehen 母猪⇒雌豚
mehejen 老母猪⇒仔を産んだ雌豚
alda 半大猪⇒仔豚よりはやや大きくなった豚
mihan 奶光⇒豚の仔
judura 苍毛猪⇒猪に似た毛色の豚
balda 白蹄猪⇒蹄の白い豚
aidagan 公野猪⇒四歳になった雄の猪
sakda 母野猪⇒四歳になった雌の猪
mihacan 野猪崽⇒猪の仔
nuhen 一岁野猪⇒満一歳前後の猪
šurha 二岁野猪⇒二歳の猪
hente 将壮野猪⇒壮年の猪
haita 獠牙野猪⇒壮年を過ぎて一層大きくなり牙が上向きになり始めた猪
hayakta 盘牙老野猪⇒老いて牙が湾曲した猪

 犬にしても豚にしても語彙が豊富なんですね…。まぁ、豚の方は猪込みなので水増ししてますけど。いずれにしろ、アキナサスヘに似た語彙はないことが確認できれば良い部分ですね。
akina
 更に、アキナの語彙的意味についてはこの辺ですね…。

張華克〈滿文名字「阿其那」的史語解讀〉《中國邊政》187期2011.09 P.79-109

 この中で、アキナの解釈を四説紹介してますね。

一、「狗」說

蕭一山先生《清代通史》稱:「阿其那,滿浯狗也」。這個講法影響深遠,一般通史、演義多予採信,幾成定理。《清代通史》裡的講法如下:

雍正四年…二月,命禁胤禩於高牆,三月,改其名為「阿其那」。阿其那,滿語狗也。…蓋既屏之於宗籍之外,又黜之於人類之列。胤禛此舉,亦太過矣﹗

二、「像狗似的趕走」說

玉麟先生在〈“阿其那”、“塞思黑”二詞釋義〉一文中認為,「阿其那」有把他像狗似的趕走的意思。玉麟先生的部分原文是:

“阿其那”滿文acina,是群眾口語,它的詞根是“阿其”又說“愛其”,去、走的意思,加尾音“那”阿其那就含有對對象討厭和輕視的去吧、走吧的意思,如果對誰加重語氣地說“阿其那”,就含有把他像狗似的趕走的意思。

三、「去馱的畜生」說

富麗女士在〈“阿其那”、“塞思黑”新解〉一文中則說:滿語「馱」的動詞是acimbi,aci是詞根,若變成「命令式」「去馱」就是acina了,所以她判斷雍正勒令皇八子允禩改名為阿其那,意思是命令他像牲口那樣「去馱」,引申為罵允禩為「畜生」。富麗女士說:

滿語動詞正acimbi,馱之意,它的詞根是aci,讀作“阿其”;聯想起acimbi的趨向形態是acinambi,讀作“阿其那木畢”,即“去馱”之意。…“去馱”的詞根,亦即其命令式為acina,讀作“阿其那”。綜上所述,我認為:雍正勒令皇八子胤禩改名為“阿其那”,顯然是命令他像牲口那樣“去馱”,其引申義不啻是罵胤禩為“畜牲”。

四、「夾冰魚」說
沈原女士的看法對歷史背景著墨較多,她觀察到允禩是自己改名的,咒罵自己的可能性也下大,而且從他兒子弘旺改名為「菩薩保」看來,顯然有無奈而做祈求的意味。沈原從滿文辭書中發現了akina這個字與「akiya昂刺魚」或「akiyan夾冰魚」等字有關,猜測允禩比喻自己是一條夾在冰層中凍死了的魚,頗有「俎上之魚」,聽任雍正宰割之意。沈原女士的文章摘記如下:

“akina”(阿其那)作為人名,亦屬此類。其中,“-na”為後綴,無義。“aki”應為何意?…這些詞都有可能被允禩用以命名,考慮到允禩本人當時的處境,他以“魚”為名,自喻為“俎上之魚”的可能性更大一些。也就是說,akina(阿其那)之名源自akiyan,意為“夾冰魚”即夾在冰層裏凍死的魚。…允禩改名“阿其那”,寓義既深,用心亦苦,他承認自己在儲位之爭中失敗,成為一條死魚、俎上之魚,聽憑乃兄清世宗處置。

 ザッと言うと①:アキナは「犬」だよ説 ②:アキナは「犬のように去る」だよ説 ③:アキナは「荷物を背負う家畜」だよ説 ④:「氷に挟まれた魚」…つまり凍死した魚、死んだ魚とかまな板の上のお魚さんだよ説 があるって言う感じの紹介ですね。宣和堂は個人的には、折角だから③の荷駄家畜って説を取ります。あと、この先生はAkina アキナkimun bata キムン バタ仇敵のアナグラム説を取っているみたいで……何だか西遊記でも似たようなこと言う先生いましたね…。八阿哥が追い込まれてそんなアナグラム仕込む意味がよく分からないのですが…。
 で、その他に八阿哥の息子・弘旺についての記述もあります。

另外允禩的獨子弘旺更名為「pusaboo菩薩保」,這還是一個傳統的滿語名字。當時在雍正朝為官、當兵的菩薩保就有好幾人,其中以「收藏隆科多金子六千五百兩」而被查獲的刑部司官菩薩保,較為有名。

 やっぱり、菩薩保Pusaboo プサブーで良いみたいですね。これもご指摘通りマンジュではありふれた名前みたいです。てか、この論文ではプサブー皇籍を剥奪されたものの官僚として登用されてたとしていて、ロンコドの収賄事件では刑部司官として捜査に当たったとしています。
 …と、念のため、《大清世宗憲皇帝實錄》見ると、ロンコドの罪状としてプサブーと関係があった旨上げてるだけみたいですね…。

(雍正五年十月丁亥)順承郡王・錫保等遵旨審奏隆科多罪案。大不敬之罪五。欺罔之罪四。紊亂朝政之罪三。奸黨之罪六。不法之罪七。貪婪之罪十六。(中略)曲庇菩薩保。囑托佛格免參。奸黨之罪六。(中略)自知身犯重罪。將私取金銀、預行寄藏菩薩保家。不法之罪六。(中略)收受菩薩保銀五千兩。貪婪之罪十六。iv

 官吏として登用されたのではなく、ロンコドから庇護を受けていたり、金銀等を預けていたり、また、銀五千両をロンコドに贈ったりと言った感じですかね。どっちかというと八阿哥亡き後、ロンコドプサブーの後見人となって庇護し、金品のやりとりが日常的に行われていた所を雍正帝に目を付けられた…と言うだけなんじゃ無いかと思います。官吏になった事はどこか他の史料にあるんですかね…。

 あと、この先生で検索すると、興味深い論文何本も書いてますが、一応、アキナサスヘ関係だけでもリンク上げときましょう。

張華克〈滿文名字「阿其那」的史語解讀〉《中國邊政》187期2011.09 P.79-109
張華克〈允禟、穆景遠的滿文十九字頭解讀〉《中國邊政》192期 2012.12 P.89-124
張華克〈滿文名字塞思黑考辨〉《中國邊政》198期 2014.06 P.57-99

 あと、こんなのも見つけました。

王鍾翰〈滿學研究中的幾個問題〉

 ここの五 阿其那、塞思黑問題に関連記事があります。《黑圖檔》関係の九阿哥の子供の改名に関する記事はココが出典みたいですね。詳しく言うと瀋陽遼寧省檔案館歷史部の所蔵である《黑圖檔》卷242 雍正四年部來檔九阿哥の八人の子供の改名の件は載っているようです。

 まぁ、これだけ色々並べて見ても、ようアキナサスヘの意味については、よう分からん!と言うのが結論なんですけどね…。
seshe

  1. …瞳の色がグレーブルーの犬? [戻る]
  2. 白みがかった眉のある犬? [戻る]
  3. 虎縞の犬? [戻る]
  4. 《大清世宗憲皇帝實錄》卷六十二 [戻る]

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