明末チベット僧のインテリジェンス活動~袁崇煥と王喇嘛、李喇嘛~

大金國璽影印

 清朝チベット仏教政策を調べていたら、清初…というか明末に対モンゴル、対マンジュ交渉…というか諜報活動で活躍した二人のチベット僧が出てきたので、とりあえず纏めておきます。縦横家のように舌先三寸でモンゴル諸部をマンジュから離反させた王喇嘛と、袁崇煥ホンタイジとの和平交渉を担った李喇嘛の事績が中心です。
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清初、清朝とハルハ左右翼との関係史

 かーなり時間かかってしまったものの、『満族史研究』第16号の関根知良「順治朝における清朝とハルハの交渉過程───モンゴル語書簡を中心に───」で紹介された清初清朝ハルハ部との事件を時系列に並べ直して、ソースを《内秘書院檔》、《清実録》、《王公表伝》で確認してまとめてみます。年表は論文に依っていますが、その後につけたメモは自分による勝手な解釈です。モンゴルの人名地名は当該論文に依りましたが…やっぱり発音難しいですよな…。
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決戦山海関─モンゴル档案から見た順治元年

 清初ハルハ部の事を調べいて、《清内秘书院蒙古文档案汇编》という資料集が出ていることを知りました。しかし、モンゴル文の影印版かつ七冊の大部と知って自分の能力を超える明らかなオーバースペックに尻込みしていたところ、《清内秘书院蒙古文档案汇编汉译》というダイジェスト漢訳版が出ていることを知りスルッと購入してみました。で、サラサラ流し読みしていたところ、以下のような記事が目に入ったので、とりあえずメモです。 Read more

順治元年入関前夜2─昭顕世子の見た入関

 前回と同じく、岡本隆司『清朝の興亡と中華のゆくえ ─朝鮮出兵から日露戦争へ─』講談社 を読んでいてもう一つ引っかかった部分をネタにします。

 まもなく第一の試練が訪れた。「流賊」李自成みずから率いる大軍が、呉三桂軍打倒のため、山海関に押し寄せてきたのである。清軍は十分に休息し、英気を養ったのちに、城門を開いて打って出た。一大会戦である。満洲騎兵が大きな威力を発揮して、李自成軍は敗退、清軍は一挙に北京へなだれ込んだ。i

 ドルゴンが兵法三十六計以逸待労を以て李自成をいてこましたんやで!と言うことになってるけど、そうだっけ?と言うお話です。

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  1. 『清朝の興亡と中華のゆくえ』P.46 [戻る]
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